2024年1月25日木曜日

応援職員の休息所はキャンピングカー

関ケ原では名神が不通となる大雪だったが、金沢は新雪が2cmほどだった。天気予報では1日中雪なのだが、現在は青空が広がっている。これ以上、降りませんようにと祈りたい。
能登地方は震災で悲惨な状況になっているというのに、無情の雪に見舞われている。にもかかわらず、各行政機関には全国各地から救援職員が市役所や役場で尽力されている。宿泊所がないので金沢の宿を利用されている人も多いという。
しかし、珠洲市などはどうされているのか気になっていたのだが、キャンピングカー30台が全国各地から集結して宿泊所となっていることを知った。

キャンピングカーが被災地に届く

「全国自治体全国からキャンピングカー約30台が集結 職員宿泊場所設置プロジェクト」が始動したのだ。
日本RV協会(JRVA)が能登半島地震被災地の災害対策支援のため開始した「珠洲市支援全国自治体職員宿泊場所設置プロジェクト」なのだ。全国のJRVA会員企業から提供されたキャンピングカーが珠洲市へ続々と到着しているという。

これからも続々集結するという

4輪駆動でスタッドレスタイヤ着用のクルマが準備された。珠洲(すず)市の商工会議所の駐車場。夜明け前の午前6時過ぎ、キャンピングカーから次々と応援職員が降り、白い息をはきながら足早に市役所に向かった。定員は3人程度。バッテリー駆動のヒーターがあり、エンジンを切っても暖かい。窓にはカーテンや覆いがある。神戸市から来た保健師の女性(48)は「快適なベッドで疲れがとれるので仕事の効率が上がる。施錠できて安心だし、人目を気にせずに着替えられるのもありがたい」と話す。

車の提供者には頭が下がる思いだ。全国の皆様、ありがとうございます。

2024年1月24日水曜日

陸前高田の奇跡の一本松のような復興のシンボルになる

あのイカキングが公式Xで震災後初めての更新で無事を報告したという。
設置された1年後、実際ここに訪れた。あまりにもどでかいので驚いた。子供たちがイカの足によじ登って口である穴に潜り込んで遊んでいた。道の駅は大賑わいでレストランは長蛇の列だった。
その旧ツイッターが無事を報告したところ、次々と反応があったという。

津波が来襲したが無事!

海には帰らず、いつもの場所にいます-。「日本三大イカ漁港」の小木港PRのため立てられ、観光名所となった巨大なイカ像「イカキング」の公式X(旧ツイッター)が、能登半島地震後初めての更新で無事を報告。「心配だったが安心した」とのコメントが相次いだという。町民らは「(東日本大震災で残った)岩手県陸前高田市の奇跡の一本松のような、復興のシンボルになる」と希望を込めている。 

「イカの駅つくモール」では、正月休業中だった1日、地震を受けて50センチの津波が到達。店内は浸水し、テラスにあった一人がけの木のベンチは海に流されていた。
しかし、全長13メートル、繊維強化プラスチック製と頑丈なイカキングは健在。目立った傷もなかった。
20日に更新された公式Xでは「津波が迎えに来ましたが、海には帰らず、いつもの場所にいます。奥能登が好きだから」と地元への愛を込めて報告。「これからも奥能登を元気にするぞ」と結んだ。

モール運営会社の芳野欽之代表取締役も、2次避難や集団避難で地元を離れる人々が増える中、「能登の絆を確かめる象徴として人々を勇気づけたい」と強調。断水し道路の復旧のめども立たないため、モールは休業が続く。「何とかゴールデンウイークまでの再開を目指し、奥能登の観光業は健在とのメッセージを力強く発信したい」と語った。

イカキングは2021年に町が設置。新型コロナウイルス感染症対策の臨時交付金2500万円を活用したことに国内外から批判もあったが、各地の観光客らの間で人気に。町は翌年、6億円余りの経済効果があったと算出した。昨年はモールに全国から約7万人が来場した。
企画担当の課長の発想が素晴らしい!益々のご活躍を祈ります。

2024年1月23日火曜日

全身の痒みに耐えかねて医科大へ

数か月前から近所のクリニックに通っているが、貰っている薬を飲んでも塗っても一向に改善しないので、医科大で診てもらうことを決断して今朝出発した。この度の地震で、いつも通行していた河北潟の道路橋と道路のジョイント部分が地震で陥没して通行止めとなった。仕方がないのでセイコ大橋経由で行ったのだが、交通渋滞が激しく40分と倍の時間を要した。

今回は数年かかっている泌尿器科とは科が違うので、ひょっとして初診料7000円を支払う必要があるかもしれないので、受付に行ったところ何の請求もなく、受付終了。伝票を皮膚科の受付に提出して呼び出しを待つこと10分、伝票をもらって皮膚科の待合室に行った。

診察を待つ受診者は十数人前後。30分は覚悟したが、3人の医師の診察が早く10分前後で受診してもらえた。医師がお薬手帳をめくって去年6月から通院されていますねと。もう半年以上もクリニックに通っていたとは・・・と驚いた。医師に全身の状況を見てもらった。処方箋をもらって診察終了となり、会計に移動して支払い終了した。

帰りは町内の薬局へ薬をもらいに行き、薬を受け取って帰宅した。意外と早く家に帰ることができた。痒みが収まるように・・・


2024年1月22日月曜日

善意と行動力に目頭が熱くなった

北海道から善意届いた 4トントラック満載 1300キロ走り七尾へ・・・という記事に目が留まった。記事によれば、帯広市のある住民が何かできることはないか考え、賛同者を募ったところ数人が手をあげ、6日に支援物資を贈ったところ、新聞記事となり反響が広がったという。その反響により、道内各地から次々と支援物資が届き、4t車に満載して20日に七尾に到着。奥能登にも届けられたという。いい話だなぁ・・・

北海道から届いた物資を手に笑顔を見せる住民や能登半島災害協議会のメンバーら=七尾市松本町で

能登半島地震で被害を受けた能登地方に、北海道から支援物資が届いた。約1300キロの道のりを走り、4トントラックいっぱいの物資を届けたのは北海道の企業の社長ら有志でつくる「能登半島災害協議会」の4人。七尾市内に届けたほか、奥能登地方に向けては一般のドライバーに搬送の協力を呼びかけ、物資を託した。

北海道で製作された看板を七尾市内に立てかけた

安保さんたちが北海道から持ってきた看板には「北海道十勝の食材 救援物資」と書き、珠洲や輪島など奥能登の各市町に持っていってもらうよう沿道から伝えた。安保さんによると、看板を見た多くの人が車を止め、物資を積み込んで奥能登方面に向かった。安保さんは「遠い地から直接届いた物資で、心も元気になってくれたら」と話した。 

いやはや凄い人がいるなぁと感心した。胸が熱くなるではないか。ありがとうございます!

2024年1月21日日曜日

地震時はどうしていたか皆さんの意見を聞いた

昨日は毎月1回開催される町内のサロンがあった。冒頭、能登半島地震発生時刻に一人づつその時の行動や状況についての話を発表してもらうことになった。
その意見を集約すると、揺れている時間が今まで経験したことがない長い時間だったという人が大半。棚から物が落ちたという人が大半だったが、何一つ落ちなかったという人もあった。結果的には被害が殆どなかったのである。

荒屋悠々サロン

また、揺れている間の行動は、外に出たという人が半数、部屋にジッと揺れが収まるのを待ったという人もあった。また、津波が来るというので、高い場所に移動したという人も2,3人あった。移動手段はどうしたのかは聞かなかったが、マイカーで移動されたと思われる。

そんな話を聞いて、先ず、津波については、当町内は海岸から6km離れ、標高10m前後なのでその恐れはないだろうし、町内の特性としては、田んぼの埋め立て造成地なので、宅地や道路は液状化が必ず発生することを伝えた。かくいう自分はどうしたかというと、居間で揺れが収まるまでじっとしていたのだが、すみやかに外に出たほうが安全なのかもしれない。

避難グッズを揃えた筈だが、実際に地震が起こってもそこまで考えが及ばず、あとで気が付いただけだった。今後の森本・富樫活断層地震にはもう少し具体的に考え備えなければならない。

2024年1月20日土曜日

火野正平のこころ旅で思い出した網走

去年の日本縦断こころ旅秋シリーズは北海道から始まった。そのビデオを見ていたら網走刑務所の場面があった。

26年前、自分もここに立っていた

そのビデオを見ていたら26年前、ここを訪れたことを思い出した。時は平成10年3月、この月末に36年間勤務した職場を退職することになっていた。その記念に網走の流氷を見に行ったついでに網走刑務所を観光した。

そのまま移築したという

監視所から監獄が放射線状に配置されている

それにしても火野正平氏は御年74歳、まだまだ日本全国を自転車で走りまくっている。もうすぐ春シリーズが開始する。正平氏の人柄が魅力でもある。楽しみだ。

2024年1月19日金曜日

やはり壊れかけた家でも「自分の家」が一番という住民

まだまだ避難所で生活をしている人が多いが、壊れた家に残っている高齢の夫婦がおられるという。年代的には自分とあまり変りがない夫婦だが、心情的には分かるが、避難所に移られた方がいいと思うのだが・・・

室温10℃倒壊要注意”も珠洲市の自宅に住み続ける高齢者夫婦「崩れるまでここにいようかと」
能登半島を襲った地震により、大きな被害を受けた珠洲市。
集団避難が進む中で、「自宅に残り続ける」という決断をする人たちもいるという。

気温10℃の寒さ

住宅は、市の応急危険度判定で「要注意」の「黄色」の判定を受けたという。
珠洲市の野々江町で生まれ育ったという、山下美恵子さん(79)と夫の一二さん(84)。
地震の影響で大きくゆがんでしまった自宅は、市の応急危険度判定で「要注意」の「黄色」の判定を受けた。
山下美恵子さん(79):
戸が外れてしまって…大変なんです。床も底落ちていますし。
この日の室温は約10℃。3日ほど前から電気が復旧し、ガスも使えるというが、戸口や窓が壊れているため、外の冷たい風が入り込んでくる。

今後の生活については…。
山下美恵子さん(79):
私らも結構年なもので、崩れるまでここにいようかなと思っています。
山下一二さん(84):
余震の大きいのが来たらつぶれるのは分かっているのだけど…どうしようもない。

住み慣れた土地を離れる事への不安
地震発生時は津波から逃れるために一度避難所に行ったという山下さん夫婦。しかし…。
山下美恵子さん(79):
とにかくトイレが大変で。学校の先生とかいろんな人がいろいろ良いように話しかけてくださるけど、それが余計、私ら気の毒とか、申し訳ないという気持ちで…。

設備の整ったホテルなどの2次避難についても、積極的ではないという。
山下美恵子さん(79):
私らはずっとここに珠洲から離れたことがないもんで、周りの皆さんと知らない土地に行ってなじめないかなと思ったり…。強情と言われればそれまでですけど。

もしウチのおふくろが柳田の実家で被災者になったら、やはり「おら、ここからずらん」といいそうだ。