2019年7月2日火曜日

山開き

昨日(1日)は毎年恒例の白山の山開きが行われた。
以下、新聞記事から
霊峰に届いた御来光の輝きは、風雨に耐えて頂に立った登山者たちへのご褒美のようだった。1日午前4時38分、令和最初の夏山開きを迎えた白山の最高峰・御前峰(ごぜんがみね)(2702メートル)では、日の出とともに濃い霧が消え、雲間にほんの一瞬、荘厳な光が差し、空一面を赤く染めた。奇跡的な天候の回復が出合わせてくれた絶景に心が震えた。

空一面を色鮮やかに染める御来光=1日午前4時35分、白山の御前峰(三上聡一撮影)
御前峰の頂で待っているうち、登山者が続々と到着し、日の出までに17人が集まった。東の方角をじっと見詰め、霧が消えることをひたすら祈る。
すると、祈りが通じたのか、一帯が明るくなり始め、眼前からサーと霧が消えた。雲の隙間から陽光が差し、みるみる空を染めていく。赤やオレンジ、眼下の雲海は薄ピンク色に照らされ、美しいグラデーションを描いた。山頂から一緒に御来光を拝んだ「登山仲間」からは、感嘆の声と拍手が沸き上がった。

夏山開き初日に御来光が見えたのは3年ぶり。20年ほど前からほぼ毎年登っているという石川県自然解説員の宮下由美子さん(52)=加賀市動橋町=は「初日にこれほど神々しい御来光を見たのはあまり記憶にない。どきどきする日の出だった」と声を弾ませた。

主要登山口の別当出合に続く県道白山公園線は、6月30日午前から7月1日午前まで、大雨に伴う通行止めが続いた。多くの愛好家が登頂を断念せざるを得なかった中、御来光を拝めた幸運をかみしめた。


そういえば自分も女房と次女の3人で白山に登った。H15年8月2日AM4;00、室堂を出発した。およそ40分位で頂上に到着した。
白山は信仰の山だといわれていたのだが、頂上に宮司が立ちご来光を待つ姿を見て、さすが白山、さすが白山比咩神社だと感動した。


宮司がご来光を待つ
そしてその時が来た 厳かにご来光を拝み万歳の声が上がった
頂上に足跡を残した
ご来光を拝んでからお池巡り。確か3か所だったかな?
登りは砂防新道、帰りは観光新道を下った。
観光新道は距離が長く急こう配だったが、そこは至る所に高山植物の花々が迎えてくれた。

山の稜線までニッコウキスゲが満開
あれから15年も経過した。もう一度チャレンジする気力は失せてしまった。だが、記憶はしっかり残っている。

2019年7月1日月曜日

SNSで歴史が動いた

一昨日の僅か数行のツイッターを発信したトランプ大統領、それを読んだ金正恩委員長がビックリしたという。そして昨日、電撃的に板門店に行き現職大統領が初めて南北軍事境界線を越えた。

トランプ大統領はスタスタと境界線を越えて行った
休戦協定から66年たった昨日の出来事だった。今朝の各TV局はこの話題でしきりである。
トランプ米大統領は29日、韓国訪問時に北朝鮮との軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)を訪問する計画を明らかにし、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長にDMZでの面会を呼び掛けた。ツイッターに「もし金委員長がこれを見ているなら、会って、握手してあいさつするだろう(?)!」と書き込んだ。

金正恩にあてたツイッター
北朝鮮の崔善姫第1外務次官は29日、米側から公式の提案を受けていないとしながらも、実現すれば両国関係改善のきっかけになると歓迎する談話を発表した。北朝鮮の朝鮮中央通信が報じた。韓国大統領府は両氏の面会に関し「決まっているものはない」としている。

そのまさかの出来事は昨日起こったのである。ごくわずかな人間しか知らない会談だったため、政府関係者や報道関係者は右往左往するのみだったという。

お互い相性がいいみたい

大統領選からツイッターを多用していたが、去年はこんなツイッターを発信して米朝が険悪になったこともある。

金正恩委員長をロケットマンと揶揄した
「昨夜韓国の文大統領と話した。ロケットマンの調子はどうだと尋ねた。
北朝鮮ではガソリン目当ての長い行列ができつつある。ひどい話だ!」と投稿した。

トランプ大統領の思いがけない板門店会談は選挙戦を有利にするための行動だという。
それにしてもSNSという代物は、あらためてその威力を見せつけた。
この頃のfacebookにしても急激に選挙関係の投稿が増えた。
たった数行で世界の歴史が動く!凄い時代になったものだ。


2019年6月30日日曜日

小学生のプログラミング教育は来年度からだが

昨日(29日)、ジョイナス金沢というところで小学生がロボットを動かすプログラミングの腕を競ったという。
文科省が昨年、小学生にプログラミング教育を導入すると発表して、「へぇー、小学生がそんなことできるんかなぁ」と驚いたり感心したりした。

小学生らがロボットのプログラミングの腕前を競う「2019オリガミチャレンジカップ」が二十九日、金沢市東蚊爪町のフットサル場「ジョイナス金沢」で開かれた。
市内でプログラミング教室「ロボ団金沢駅西校」を運営する、かほく市宇野気の合同会社「Origami(オリガミ)」が主催。同校を含め、県内三つのプログラミング教室で学ぶ小学生らを中心に十八チーム三十五人が参加した。
プログラミングしたロボットが走る様子を見守る子どもら=金沢市東蚊爪町で
難易度別の「ミドル」「エキスパート」の二部門に分かれ、各自がコンピューターでプログラミングした自走式のロボットを使い、指定のコースを走るタイムを競った。子どもたちはラインに沿って進むロボットに声援を送ったり、コースから外れると「あー」とため息を漏らしたりした。

プログラミングを学び始めて一年ほどという能美市寺井中学校一年の横江和昌さん(13)は「初めての大会。プログラミングしたロボットを自由自在に動かせることが楽しい」と話していた。 

時代は変わったもんだと痛感することしきりである。昭和36年の話になるが、職員の前段階である試用員だった頃に、鉄道学園三島分教所で教育を受けていた際に本社見学があった。見学場所は国鉄が最新鋭のコンピューターを導入したというのでそれを見に行ったのである。初任給1万円の頃だったが、そのコンピュータはIBM製の3千万円。まだ半導体はなく真空管だったので、熱を発するため冷房完備の室内に鎮座していた。図体はでかく1台が畳1枚の大きさ。それが2台稼働していた。

映写機のフィルムドラムより大きめのリールが不規則に回転していた。
隣室では40人ほどの女性軍団がキーパンチャーとして忙しそうに作業をしていた。
穴を明けたカードは機械に読ませてコンピュータに送る。
このコンピュータ導入により国鉄で消費される資材調達処理が著しく効率化したと説明があった。
だが当時のコンピュータの性能は現在の自分が使用しているパソコンの処理能力より遥かに小さいのだという。

さて、2020年度からの小学校プログラミング教育の全面実施に向けて、文部科学省では、
 ・「小学校プログラミング教育の手引(第一版)」の作成(平成30年3月)
 ・「小学校を中心としたプログラミング教育ポータル」※を通じた実践事例の発信 などの支援策を実施。 
○ 一方で、手引等を踏まえ、先行的にプログラミング教育の実践に取り組む学校 や教育委員会も増えてきており、これらを通じて、手引における説明の充実や指 導例の追加を行うことが望ましい点も明らかになってきた。 
○ このため、説明の充実や指導例の追加などを行うため同手引の改訂を行い「小 学校プログラミング教育の手引(第二版)」として公表することで、全国の小学 校における円滑なプログラミング教育の実施を支援するもの。 ※文部科学省、総務省、経済産業省が連携して、教育・IT関連企業・団体等 とともに設立した「未来の学びコンソーシアム」が運営するWebサイト

上の写真は東京霞が関ビルで開催された小学生のプログラミング教室だという。
コボルとかフォートランとかいうのを30年ほど前にほんのちょっとだけかじったことがあるにはあるが、どういうわけか「サブルーチン」という言葉だけは忘れていない。
やはり若い頭脳は違うんだなぁとため息が出る歳になっちゃった。



2019年6月29日土曜日

9秒台記録を期待した観客で陸上競技場が満席!

昨夜、福岡・福岡市博多の森陸上競技場で行われた、第103回日本陸上競技選手権大会の男子100メートル決勝は、素晴らしい選手たちがどんな力走を見せてくれるのか、そして9秒と10秒の間にそそり立つ「壁」を突破するのか胸を高鳴らせてTV画面を注目した。

それにしても陸上競技場の観客席は、これまで見たことがない満席の盛況。9秒台の壁が破られるのを自分の目で確かめたいという願望を持った観客で埋まった。かくいう自分も大いに期待した。
日本の陸上競技でこのような興奮様態に導かれるようになったのは北京のリレーが原点であろう。朝原の小躍りしたシーンが忘れられない。
それにしても100m競技でスターがずらりとスタートラインに立つなんて、今回が特別に際立った感がある。

さて、スタート前の下馬評はどうだったかというと、
【高野進氏 男子100メートル決勝占う】サニブラウンは無風の中で10秒05。しかもまだ余力を残していた。予選で失敗したスタートは、準決勝では力まず前傾して素早く足を運べていた。先頭に立ってからもギアを入れるというより、キープしていたのでもう一段ギアを残していると思う。準決勝は彼の中でいろいろ試しているように見えた。条件が良ければ9秒台も見える走りだった。

決勝のスタートは関西大の坂井が出て、技術を生かせれば桐生も先行できる。サニブラウンがスタートで前に出られなかったら、桐生、小池がレースの主導権を握ることになると思う。桐生は中盤の走りが良い。集中したら完全に別人になるので1日たって変わるかもしれないし、条件次第だが風に乗ると面白くなる。
小池は腕と足のさばきがバッチリ合っている。トップスピードまでの運び方が抜群で後半にもかなり勢いがあるので、もしかしたら最後までいくかもしれない。ただ後半勝負でサニブラウンに勝る者はいないし、スタートが決まれば独走にもなる。彼中心であることは間違いない。(男子400メートル日本記録保持者、92年バルセロナ五輪8位、東海大体育学部教授) ・・・・さすがに的確な予想をされていた!

そして決勝の号砲が鳴り響いた。
スタートの反応時間は0秒153と8人中7番目だったサニブラウン。しかし中盤から先頭に立つと、後続を引き離しフィニッシュ。2年ぶり2度目の栄冠に輝いた。桐生祥秀(日本生命)は10秒16で2位、3位には10秒19で小池祐貴(住友電工)が入った。


日本記録保持者のサニブラウン・ハキーム(フロリダ大)が10秒02の大会新記録で優勝
観客1万4千人の視線を一身に集め、雨にぬれた走路の上をサニブラウンが駆け抜けた。陸上の日本選手権男子100メートル決勝。向かい風の条件では日本最速となる、10秒02の大会新記録で自身2度目の優勝に花を添えた。

レース後、フロリダ大学のキャラクターである「アリゲーター」を模したポーズを披露し、「米国でもっと速い選手と走ってきて、ここで自分の強さを見せられないと意味がないと思った」と、陸上王国で研鑽を重ねるプライドを滲ませた。

注目はスタートだった。27日の予選と準決勝はいずれも出遅れた。「セット」の合図で構えてからピストルが鳴るまでのタイミングが米国の大会より早く、タイミングを取りずらかったため、スタート練習を多めにこなして決勝に臨んだという。

しかし、またも反応が遅れた。右隣の桐生に一瞬、前に出られても「うまくいかないのはいつものこと」と焦らなかった。そこから圧倒的な加速で他の選手を置き去りにし、50メートル付近で勝利を確信した。日本陸連科学委員会のレース分析(速報値)によると、サニブラウンの最高速は50~60メートル区間の秒速11・57メートルで、桐生の同11・38メートル、小池の同11・36メートルを大きく上回った。

この優勝で世界選手権の代表に決定。「世界には化け物みたいな人が多いので、今のままじゃ駄目。技術的には備わってきているが試合で出せないと。メダルを取れるところまで練習を積めていければ」。20歳の大器はドーハの表彰台を見据えている。 

優勝は2度目なんだとか
順位
名前
所属
タイム
1
サニブラウン ハキーム
フロリダ大
10.02 大会新
2
桐生 祥秀
日本生命
10.16
3
小池 祐貴
住友電工
10.19
4
飯塚 翔太
ミズノ
10.24
5
多田 修平
住友電工
10.29
6
坂井 隆一郎
関西大
10.31
7
川上 拓也
大阪ガス
10.31
8
ケンブリッジ 飛鳥
Nike
10.33

自己記録より0.06秒及ばなかったのだが、今年中にこの記録は塗り替えられるだろう。楽しみだなぁ。

2019年6月28日金曜日

風はらむ1245畳の羽

今朝のある新聞に、富山射水市で海王丸総帆展帆の模様について記事が掲載された。
「海の貴婦人」の優美な“羽”がはためいた--。富山県射水市の「海王丸パーク」に係留されている帆船「海王丸」では1年に10回ほど、すべての帆を広げる総帆展帆(そうはんてんぱん)が実施されている。最も大きい帆は約97畳分もあり、全29枚を合わせると約1245畳分にものぼる。
 

白い作業着と黄色いヘルメット姿のボランティアが4本のマストに分かれ、器用に上っていく。畳まれて帆桁(ほげた)にくくりつけられているロープをほどく。その後、デッキで「よいしょ」というかけ声と共にロープを引っ張る。約50人がわずか1時間ほどで帆を広げ終えた。

29枚あるすべての帆が広げられた海王丸=富山県射水市海王町で、柳澤一男撮影
海王丸は、商船学校の練習船として、誕生した帆船である。
昭和5年2月14日に進水して以来、59年余の間に106万海里(地球約50周)を航海し
11,190名もの海の若人を育てた。
海王丸パークでは、この海王丸を現役のままで、公開している。 

平成28年10月20日、町内シニアクラブは研修旅行で射水市方面に訪れた。東洋のベニスと称される運河を遊覧後、この海王丸船内を見学した。商船学校の練習船だったというが、船内は広くまだまだ現役で使用できるくらいにピカピカに磨き上げられていた。

昔、七尾から飯田まで就航していた旅客船よりはるかに大きい

3年前の研修旅行だが、参加者は今年よりズーっと多かった
2,3年前からシニアクラブ会員でなくとも、参加OKという措置を執っているが参加者数が減少気味になっている。
このバス旅行は金沢市の助成があるため格安に実施できる。ただ、参加者20人以上の証明写真を添付する必要がある。
先日実施された若狭三方五湖方面の旅行には、初めてバスガイドが添乗した。参加者の反応は「良かったじゃないですか」だった。2万円前後の経費増だが次回も付けようと一決した。「シニアクラブの旅行は楽しい」と参加者が増えてくれることを期待したい。

2019年6月27日木曜日

「時の人」になった知人

もう4,5年前のことだと思うが、ある人が私にこんな話を始めた。
「アメリカに5年、中国に10年仕事をした。今、3000本のアジサイの面倒を見ている・・・」と。何とスケールの大きいことだろうと驚いた。「檀家代表をしている関係で毎年アジサイの面倒を見ている」ともおっしゃった。

そして今朝の新聞記事を見て、「あれっ」と驚いた。その人の写真が掲載されていたのである。場所は本興寺の境内に所狭しと咲き誇るアジサイに囲まれていた。

木下昭二が残したアジサイを手入れする中谷聡秀(左)と奥出健三=金沢市薬師町で
写真の右が奥出健三さん、現在、千坂公民館長も務められている。
新聞の見出しは
【わがまちの偉人】 本興寺で3000株植樹 木下昭二 1928~2018年

毎年六月になると、本興寺(金沢市薬師町)で、約三千株のアジサイの花が咲き誇る。檀家(だんか)の木下昭二が還暦を過ぎてから、二十年かけて植え続け、今では「アジサイ寺」として有名になった。木下が丹精して育てた花が、今年も咲いた。 (寺田結)

木下は本興寺近くの農家だった。米作りのほか、花を栽培して切り花を売っていた。盆栽が趣味で、公民館でも教え、次男の中田良治(62)によると、「時間があれば花を触っていた」。
六十歳を過ぎ、米作りは続けたが、花の栽培はやめた。それから数年後、住職の中谷聡秀(68)からこんな相談があった。「どんな花がいいかなあ」。墓の下に眠る人に、花を見せてあげたいという。

境内に、まず数株を植えた。その後は、育った株の枝を切って土に挿し、根を出させる「挿し木」で新たな株を作った。

長年、花の栽培をしただけに、剪定(せんてい)はとても正確だった。しかも、適当に切っているように見えるほど、切るスピードは速かった。「愛情があったからできたんでしょう。あの人が手入れすると、花がよく咲くんです」と中谷は懐かしむ。


約五年間、木下の栽培を手伝い、今はアジサイの管理をする奥出健三(81)=同市法光寺町=は「自分にも他人にも厳しい人だった」と話す。雑草を刈り残し、叱られたことも。「きれいに咲かせることに、信念を持っていましたよ」

美しいアジサイの景色が評判を呼び、二〇〇七年ごろから県外の観光客も来るようになった。木下はワイシャツ姿で一日中、アジサイの説明をし続けた。「おっちゃーん」と慕う常連客の女性もいた。


木下は一六年ごろから、老人ホーム暮らしや入院生活を繰り返し、一八年二月に八十九歳で世を去った。今年も咲いたアジサイを見ながら中谷は言う。「どんな人も、きれいな花を見るときは穏やかな表情になるんですよ」。檀家と共に、この景色を守っていく。 =敬称略


先日卯辰山花菖蒲園のアジサイを見てきたが、そこは2500本植えられているという。
そこよりも500本多い3000本も植えられている。
記事にもあるように、県外からの観光客も多く訪れるようになったという。
石川テレビの取材もあったようだ。


81才だという奥出さんの元気な姿:石川テレビHP
本興寺は森本ICから約1.5kmほど東に進み、右折して500mの位置にある。
まだ一度も行っていないので、来年は必ず行ってみたい。

2019年6月26日水曜日

やじろべえ工法でつながった

今朝の北國1面に「北陸新幹線の手取川橋梁が連結」という記事が掲載された。
今から遡ること47年前、宮島の対面安芸郡大野町で山陽新幹線建設に土、日なしで奮闘していた経験から、そんな記事に接すると「血沸き肉躍る」思いがする。
先週、あるTV局が新幹線手取川橋梁の建設状況を取材したものを放送していた。

手取川橋梁は箱桁が何本も連なり、その中に入ってもうすぐ残り1か所がつながる現場までカメラが追った。
この橋桁施工方式はディビダーグ工法を採用した。俗名では「やじろべえ工法」と呼んでいる。

北陸新幹線手取川橋梁(きょうりょう)の連結式は25日、川北町朝日の現地で行われ、約90人が金沢―敦賀間では最長となる558メートルの橋がつながったことを祝い、23年春の敦賀開業に向け、工事の安全を祈った。
北陸新幹線の手取川橋梁が連結 石川・川北
手取川橋梁は金沢開業から間もない15年8月に着工した。手取川が増水する6~10月は工事を中断するため、連結までに約4年を要した。今後はレールや架線、信号の設置などが進められる。 

やじろべえ工法:均等にバランスをとりながら桁を伸ばしていく
この工法は30年前から施工されるようになった比較的新しい工法である。
地上又は水面から20m以上も高い位置に桁が施工されるのだが、メリットとして足場が不要なことが大きい。だがこの工法は何本もの太いピアノ線をあらかじめ引張力を導入してコンクリートを打設する必要があることから、厳しい施工管理が要求される。

去年9月の工事状況
昭和49年、山陽新幹線の次に北陸新幹線をやりたいと希望していたが、オイルショックを経て予算が回らなくなって50年近くになってようやくこんな状態なのである。
50歳ほど若かったら・・・と馬鹿げた空想をしてみた。