2018年12月14日金曜日

3日目最終日 皇居と豊洲

朝6時起床、7時1Fレストランへ。中に入って素晴らしい眺望に息を飲んだ。シンガポールラッフルズのレストランも高級感あふれる雰囲気があったが、ここは外の景色が混然と一体化した素晴らしい雰囲気。

1Fレストラン
バイキングの品ぞろえも中々のものだったが、食べ過ぎを警戒してセーブした。
部屋に戻り支度を整えホテルに横付けされたバスに乗車して皇居を目指した。
暫くして方向が逆に向かって走行しているのに気付いた。何とベイブリッジを渡るではないか。21年前にベイブリッジを対岸まで渡ったことがある。当時は橋を降りてそこが終点だった。それが工場群のひしめくエリアを縦貫して羽田空港あたりで合流するインフラとなった。

羽田空港の管制塔
レインボーブリッジも渡った
汐留あたりの高層ビル
窓から桜が咲いているのが見えた
桔梗門から入場
桔梗門前の広場で暫く待機
門を入ってすぐに窓明館という待合所に入るのだが、持ち物チェックがある
この持ち物チェックが結構厳しい。ポケットの中に手を入れて確認された。
400人くらいは入れる
参観ルート 所要時間は約1時間
何と騎馬軍団一行が訓練中
4,50分程待ってようやく皇居巡りが始まった。待合所を出て直ぐに騎馬隊、これに続いて馬車、後方の護衛隊が続いて現れた。天皇陛下の交代セレモニーの訓練のように思う。
正月参賀が行われる場所 意外と低いのだ

参考:正月参賀の模様
次に向かったのは二重橋。
ここが二重橋 島倉千代子の唄を思い出した

実際の二重橋は30mほど離れた所にある
新内閣が勢ぞろいして記念写真を撮影する場所でもある
勤労奉仕の皆さん
別の場所でも別の団体が
1時間かけて巡ったのだが、それは皇居のほんの一部分に過ぎないのだ。
と、いうことで皇居を出てバスに乗った。行き先はすぐ目の前の「丸ビル」3Fの蕎麦屋。この丸ビルは2回目の訪問だった。食事後、最後の目的地である豊洲に向かった。
間もなく到着となる
周りには人道橋が張り巡らされている
豊洲市場は想像していたものより遥かに広大だった。青果棟を見学して鮮魚棟へ行ったのだが何せ遠いのだ。
青果棟
青果棟2F見学窓から
青果棟を見て回っても下で見るわけではないので面白みが全く感じられない。
見学通路
鮮魚棟方面の通路
鮮魚棟に通じるペデストリアンデッキの長ーいこと。そこに行っても下に降りれる訳でも無いので何にも面白みがない。ただ疲れただけ。添乗員曰く「人が多いのは食べる店にやってくる客」なのだそうだ。ま、もう一度いこかという気持ちにはならないだろう。
オリンピック目指して建設工事が盛ん
東京タワーがちらりと見えた 何だか小さくなった感じ
都市高速から見える東京の市街は何だか活気に溢れているように感じた。元気な日本をみたような気持になった。
都内をバスで走り回って東京見物を存分味わったそんなバスツアーだった。


2018年12月13日木曜日

2日目、日光とMM21どっちも4回目の見学

いつもそうだが、バスツアーの日程はハードである。今回も金沢駅出発がAM7;00、宿の到着がPM6;00頃。2日目出発はAM8;00だった。ツアーは毎日かなり歩く距離が長い。万歩計は8~9千歩がカウントされる。健康体であることが必須条件である。この日は気温が0℃前後と冷えたが快晴に恵まれた。バス座席は毎日変わる。前日はバスの中央付近の座席だったが、この日は最前部添乗員席の次だった。よって視界良好、快適なバスドライブが楽しめた。

鬼怒川温泉から日光東照宮までは30分程で到着する。駐車場からしばらく歩いて輪王寺門前の広場に出た。輪王寺は天台宗の門跡寺院である。明治初年の神仏分離令以後、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称される。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。現在、「日光山」は輪王寺の山号とされている。また、「輪王寺」は日光山中にある寺院群の総称でもある。

広場の一角に宝物殿があるが、この建物の裏に御霊殿という建物がある。この御霊殿は歴代天皇の位牌が安置されており、所管は宮内庁であり一般開放されていないのだが、今回旅行社が特に許可を得たということで、宝物殿の裏手に回った。
逍遥園という庭園を通って奥の御霊殿に向かった。

逍遥園 苔が風情を醸し出していた
御霊殿
初めての経験だったが、御霊殿の前で全員が頭を垂れ、お坊さんから「お祓い」のような儀式を受けた。建物内部には入れないが、中には天皇の位牌が並べてあるのが見えた。
次に向かったのは輪王寺。本堂である「三仏堂」は、平成32年度までの予定で約50年ぶりの平成の大修理中なのだが、既に仮設足場は両側に残すのみとなっており、来年3月には撤去完了となる予定なんだそうだ。

金堂の額 サイズ6畳間大もあるとか 
4年前になるが、この時は本堂全体が足場で覆われており、工事中の本堂内ほか屋根のてっぺんまで見学した貴重な体験がある。内部は写真撮影禁止のため写真がない。
至近距離から眺める三仏体は迫力があった。
見学が終わり次の目的場所東照宮に向かった。

鮮やかな色合いに修復された

御手洗殿
大理石造
一段と輝きが増した陽明門
やはり世界遺産だけあって素晴らしい建築物である
神輿の格納庫
格納庫の天井画が素晴しいが暗いので良く見えないのが難点
本殿入り口も新築同様になった
眠り猫の裏側はこうなっていた
眠り猫の左側通路から本殿に入った。本殿内は2回目、東照宮の故事来歴説明は巫女さんだった。本堂裏の祈祷所を見学して本殿を出た。
次は泣き龍の本堂へ。龍の顔の真下の位置だけ拍子木を打つと反響音が出る。

そこから20分程歩いて昼食場所兼土産物屋兼駐車場に向かった。
ここも前回来たところ。昼食は旅行社が選んだ場所だけに美味しかった。昼食後は出発時間まで土産物売場を徘徊した。
それから屋上の駐車場に行ってバスに乗り、次の目的地である横浜に向かった。
日光まで自動車道があるとは知らなかった。そのお陰で全て横浜まで自動車道を通行した。
インフラが整った!
羽田空港の手前 新幹線基地が左手に
運転手のお手並みも素晴らしい。都内をすいすい走行した。赤レンガ倉庫に到着。
平日というのにこの賑わい!特に若い女性が多いのだが、学生か?

店内大盛況!
倉庫と倉庫の間もクリスマスイベントとやらでごった返し
そしていよいよ憧れの「ヨコハマグランドコンチネンタルホテル」に到着した。
ここには建設工事中に見学で訪れた。例のないデザインに度肝を抜かれた場所なのだ。
開業が平成3年だという。平成元年あたりに工事現場へ行ったと思うのだが、年次ははっきりした記憶がない。
海を眺めながら入浴できる部屋は15万円と聞いて驚いたりもしたものだった。
ホテルロビー
10階宿泊部屋からの眺め 眺望絶佳!
部屋はゆとりあるスペースが確保され、バスルームの設備も広くて高級感が漂っていた。
個人的にはとてもこのようなホテルには予約不可である。旅行社の企画力と営業力によるのだろうなぁ。
さて、今回のメインイベントであるナイトクルージングへ。桟橋はホテル前の至近距離にあった。

出発直後のホテル景観
観覧車のネオンサインが素晴しい
クルージングは桟橋からベイブリッジ直前まで、そこからUターンしたのだが、それはそれは函館の夜景とは趣が違って建物群のきらめきが横と縦に広がっていて圧巻だった。
天候にも恵まれ、飛鳥Ⅱの出航にも遭遇した。期待していた以上のナイトクルージングの後、桟橋に併設されているレストランで夕食となり2日目が無事終わりを告げた。

2018年12月12日水曜日

日光東照宮・横浜ナイトクルーズ・豊洲市場と皇居宮殿参観(その1)

日曜日の早朝(6時12分)森本発の電車に乗って金沢駅に向かった。天候は曇りながら降雨なし。車中で食べる昼食用の弁当を買いに駅構内のコンビニへ。店内は6個のあるレジは長蛇の列で大繁盛。そこから駐車場のバスへ。金沢から乗車した旅行客は吾々を含め8人。ちょっと少ないなぁと感じた。

定刻7時に発車、北陸自動車道に入り高岡へ。不動寺あたりから路肩に雪が積もっていた。こりゃえらいことになるかも・・・と心配になった。高岡駅前で客を10人乗せて小杉駅に。そこで6人乗って富山駅にも寄った。富山からは11人が乗車して35人全員が揃った。富山ICから再び北陸自動車道へ。家々の屋根にはうっすら雪が載っていた。
その雪も新潟県内に差し掛かって殆ど積雪がなくなった。

往路の行程は沼田ICに降りるため関越自動車道を回った。湯沢あたりは銀世界が広がった。沼田で降り、曲がりくねった峠道を超え日光田母沢御用邸記念公園に向かった。
以前、反対方向からバスに乗って走行したことがあるので、峠を越えれば中禅寺湖に出ると思っていたのだが、途中でルートを変えたため大回りしたことになる。最初の観光地である田母沢御用邸に3時40分頃到着した。


田母沢御用邸玄関
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部 分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営された。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となった。

建物と庭
昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になられたという。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇った。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、現存する明治・大正期の御用邸の中では最大規模のものである。これらの建物や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を垣間見ることができる。

部屋数が100以上もあるという

平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定された。



ここの見学が終って宿泊する鬼怒川温泉のホテルに向かった。
ホテルに到着して、「おやっ」と思った。何と8年前の年末から平成22年の元旦にかけて泊まったホテルだった。
8年前にも泊まったホテルだった
8年前と何が変わったかというと、新たにベッドルームが窓際に改装されていた。このようなタイプのホテルが増えている。



2018年12月8日土曜日

この事件も運転手が煽った?

もう一月以上が経過した今月5日、ハロウィーン前の週末の10月28日、東京・渋谷区のセンター街で軽トラックが横転させられた事件で、車の上に乗って踊るなど乱痴気騒ぎしていた暴徒たちが逮捕されたという。
渋谷のセンター街で群衆に取り囲まれた軽トラックが横転させられ破損した事件で、警視庁捜査1課は5日、暴力行為等処罰法違反(共同器物損壊)容疑で、東京都世田谷区深沢の会社員糀原翔大容疑者(20)ら20~27歳の男4人を逮捕した。

かっこいいだろう!とアピール
28日午前1時ごろ、男性が運転する軽トラックが路上で群集に取り囲まれ、立ち往生。すぐに数人の男が荷台に乗り込んでジャンプし始め、屋根に上がる者もいた。その後、上半身裸の川村容疑者が荷台から見物人をあおり、車から降りると、今度は車を囲んでいた十数人の男が車体を持ち上げて横転させた。すると上半身裸の糀原容疑者が軽トラの運転席のドアによじ登り、ボディービルダー気取りでポージング。他の連中も荷台の扉に乗って踊ったり、車体をボッコボコに蹴って走行不能にした。 

十数人が加担したという
調べに対し、「運転席側のドアの上で飛び跳ねたのは間違いない」(糀原容疑者)、「騒いでいるのを見てやってしまった」(黒木容疑者)、「酒を飲んだ勢いでノリでやってしまいました」(川村容疑者)、「ハロウィーンイベントでワクワクして、好奇心からやった」(国分容疑者)などと供述しているという。4人の間に面識はなく、それぞれ「暴動」に加わった。

糀原容疑者は電気工事士で大阪市内の工科高を卒業後、都内の電気設備会社に就職。勤務先の担当者は「状況が分からないので処分などは決めていない」と語った。
国分容疑者は福島市の商業高を卒業し、原宿の美容院でアシスタントとして勤務。同僚の話では事件後も騒動の話はせず、普通に仕事をしていたという。

川村容疑者は山梨の実家の土建屋で職人をしている。
「朝の暗いうちに警視庁の車が3台来て川村容疑者を連行していった。(昔は)ヤンチャしてて元暴走族だった。(動画では)パンツ一丁になってフラダンスみたいなことしてたけど、昔から大勢の前で騒ぐのが好きなタイプだった」(近隣住民)

捜査1課は現場周辺にある約250台の防犯カメラの映像を分析し、フランス人やベルギー人を含む男15人が関与したとみて、10人の身元を特定。特に悪質だった4人を逮捕し、17~37歳の残り11人を書類送検する方針だ。
「捜査員43人態勢で足取りを追跡。最寄り駅を調べ、聞き込みをし、約4万人の中から15人を割り出した。事件発生から1カ月ちょっとで逮捕に至ったのも、検挙をもって抑止とするため。『調子に乗るなよ』という意味も込められている。来年また暴動が起きたら、批判が出るのは間違いない。何をやっているんだということになる。ラグビーワールドカップや東京五輪なども控えていますから」(捜査事情通) 

だがこの事件、本当なのかどうか判断困難ではあるが、フェイクニュースみたいな投稿があるという。
・運転手が最初に窓から右手だして、乗れ乗れ✋ってやってたよw この動画を知ってる人はまだ少ないと思う。 被害者ヅラして警察に被害届け出してるあのタオル親父がこのあとどうなるか楽しみ

・運転手が乗れって、パリピ達を誘ったのは事実。 倒した倒されたは他の動画を参考にして、ご自身で判断してくださいw
・それって完全に罪をなすりつけて罪逃れしようとしてるって事ですよね??それに初めてこのニュース見てこの運転手がやられててかわいそうとか言って心配してた人たちの気持ちを踏み時に行ったって言うかもてあそんだって事になりますね!

何と運転手が付近にいる若者を誘ったのだという。当日なのか翌日なのか不明だが、その運転手が被害届を出したのだという。もし事実であれば「運転手」を厳罰に処すべきとおもうが如何。