2022年3月16日水曜日

新入社員教育機関入学の場合は「米」持参の時代

カラー化作業は残り僅かとなった。今回は昭和36年5月16日から6週間、新入社員の教育機関である中央鉄道学園三島文教所へ入所した写真を紹介したい。
入所にあたり、注意書きとして入所の際には米2升を持参することになっていた。そういえば昭和46年に広島へ赴任したときも役場に米穀通帳を提出することになっていた。配給制度がまだあった。

教習所寮は何と元兵舎だった


入所者は岐阜以北の各機関から集まった

1室にベッド8台があった
この部屋は2段ベッドではなかったが、廊下の向こう側は2段ベッドだった。2段ベッド上部から転落した者がいたが怪我はなかった。

寮の窓から富士山が眺めることが出来た
土・日は毎回観光地巡りだった。入所して1週間後だっただろうか。国鉄本社見学があった。

北口横断歩道を渡ると本社だった
見学したのはコンピュータールームだった。どでかいIBMのコンピュータが2台鎮座していた。コンピュータなるものを見るのは初めて。1台3千万円。当時の初任給は1万円ジャスト。2台で6千人分の価格。しかし、当時の演算能力は98程度しかなかったという。それでも画期的な機能だったに違いない。

本社屋上には立派な「鉄道神社」があった

18才の連中もやがて80才だ

だけど、6週間の学園生活は天国のように思えた。入所した際のモノクロ写真が有り余るほど有るのがそれを物語っている。

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