2019年6月17日月曜日

鬼気迫る迫力の太鼓打ち

先週の木曜日だったが、新聞に【わがまちの偉人】輪島市「御陣乗太鼓」保存会設立 北岡周一 (1930~2017年)という見出しがあった。
これを見て思い出したのが、NHKが昭和40年代に取材した名舟町の北岡周一という人の生活の様子や御陣乗太鼓を打つ姿をとらえた番組が今も忘れず脳裏にしっかり焼き付いている。

昭和43年の取材だったと思うが、当時、北岡さんは出稼ぎで生計をたてられていた。名舟の大祭で帰郷していた北岡さんの太鼓を打つ姿は感動的であった。憤怒の様相をした面をかぶり、白髪を振りかざしながら筋肉隆々とした見事な裸体をくねらせながら太鼓を打つ姿は鬼気迫るものがあった。
北岡周一さん
きたおか・しゅういち 輪島市名舟町に生まれる。尋常小学校を卒業後、季節労働者として大阪府で土木関係の仕事に従事した後、地元に帰って刺し網漁師として生計を立てた。10代半ばで御陣乗太鼓を始め、1959年に保存会を設立。日本文化交流使節団の一員として、欧米や中東など世界各国で公演した。

北岡さんの奥さんが朝市にでかけ、祭りの料理に使う材料を買うシーンが忘れられない。
「これいくらするが」「〇〇円や」「ちょっこりまけてくだいま」といったやりとりをカメラがとらえていた。
祭りが終わり、また出稼ぎにでかける様子も忘れられないシーンであった。
小学3年生か4年生の息子さんが、周一さんに纏わりついて「父ちゃん、行かんといて」泣きすがっていた。

その息子さんは現在、御陣乗太鼓保存会の会長である北岡周治さんである。

輪島塗関係の仕事が本業の北岡周治さん
周治さんも周一さんのDNAをしかっかり発揮して御陣乗太鼓の第一人者となっておられる。


今までゴジンジョウタイコと何の疑問を持たずにそう呼んでいたが、このチラシでゴジンジョタイコが正式名称だと知った。

上半身裸の面を付けた打ち手を周一さんは務められた
御陣乗太鼓のいわれ
天正4年(西暦1576年)、現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せて来ました。
武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌で打ち向かったがさんざんな負け戦でした。

しかしその時、村の古老の指図に従い、樹の皮の仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ちならし、上杉勢に逆襲し、勝利に導いたといわれています。

この戦勝は舳倉島の奥津姫神の御神威によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面を被り、 太鼓を打ち鳴らしながら、神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなっています。 

4,5年前だと思うが、NHKがBSで周一さんを取材した番組が再放送された。ビデオテープに保存したのだが、肝心のビデオデッキが動かなくなって視聴不可となってしまった。

テープもどこへ行ったか不明になってしまった。が、脳裏にしっかり焼き付いている。

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