2017年7月21日金曜日

付近住民のエゴ ラジオ体操中止が多発!

今日から夏休み。
と同時に、各地域の公園でラジオ体操が始まった。
ところが最近、公園付近の住民から「うるさい!」とクレームが出るようになって、やむなく中止するところが続出しているという。
当町内では児童公園で開催しているが、10年ほど前に「うるさいから何とかしろ」とクレームが付けられた。何と考え方の狭量さと腹が立ったものだが、面と向かってはそうは言えなかった。
以前、岐阜市内のアパートに住んでいたのだが、夏休みになるとすぐ近くのビルの空き地に子供会が開くラジオ体操があった。6時過ぎから甲高い子供の声、6時半からかなり音量の高い体操のメロディーが流れた。
「うるさい」と感じたか。「No」である。むしろ、「お、今日も子供たちは元気だな」と思ったものである。

どうして最近は「うるさい」と思うようになったのか。恐らく高齢者が増えて、生活に不満を抱えている人たちがラジオ体操を騒音としか見なくなったのだろう。
今年も町内の公園で「蚊の鳴くような音」のラジオ体操が始まった。

2017年7月20日木曜日

天井カメラが識別 入退場足すわけない!

今日の朝刊を見ても、国立美術館柳原理事長の暴言に係るハレーションがいかに大きいかが読み取れる。
投稿欄でも県民を愚弄した暴言を咎める投書がある。
特に紙面を大きく割いて、21世紀美術館の入場者数の調査方法をわかりやすくまとめた。

天井カメラが人型に反応して自動集計をしているという。
「入場者数と退場者数を足して集計している」と断言した柳原氏は、何を根拠にそんなバカげた発言をしたのか・・・・。これは柳原氏が常に心中に持っている石川県コンプレックスから出たものとしか考えようがない。国立工芸館が金沢に移転することや、21世紀美術館の入場者数が国内トップクラスであることなどが、はがゆくてしょうがないのである。

この暴言があってから県美や21美にエールが続々寄せられているという。

馳前文科大臣に説明に行くと聞く。馳前文科大臣は絶対許せないと表明された。
どのような説明があるか注目したい。


2017年7月19日水曜日

今朝の「天声人語」から

昨日(7/18)朝、聖路加病院名誉院長の日野原重明氏が逝去された。享年105歳。
この人の100歳になった時のインタビューが忘れられない。
「私の手帳に予定表があるが、4年分のスケジュールがぎっしり記入されている」と話された。本当に?と疑問に思ったものであるが、その手帳も4年間の使用に耐え、さらに4年分の予定表を作成され、その1年が過ぎ去った。


59歳に時にハイジャックされ4日間人質となった経験は、日野原氏の「生き方」におおきな影響を及ぼした。解放された日から「これからはおまけの人生。人のためになる生き方をしよう」と決意されたそうである。
日野原氏は数々の名言を残された。そのうちの二つを紹介したい。



地域サロンで100歳の日野原氏を取材したビデオを鑑賞した。素晴らしい生き方をしている人だと感心して見たものである。
ご冥福を祈りたい。

2017年7月18日火曜日

工事に起因する建物損傷補償交渉

建設工事には補償問題が必ずといっていいほど付きまとう。
トンネル工事で異常出水が長引けば渇水が発生して農作物等の補償をしなければならない。軟弱地盤で盛土をするととんでもない場所に地盤隆起が発生したりする。

昭和52年、豊橋で新幹線保守基地増強工事を担当していた時の出来事である。
構造物の基礎工事でシートパイル(鋼矢板)をバイブロハンマーを使用して施工していた。この工法はバイブロという振動発生器で重量を加えながらシートパイルを振動させることによって地中に打ち込む工法である。

ある日電話がかかってきた。いきなり、「この馬鹿ども!てめぇらは何をやってんだ。事務所の壁がクラックだらけになった。どーしてくれる!」ともの凄い剣幕で怒鳴られた。
平身低頭で平謝りし「後ほど補償係長と同行してお伺いします」と電話を切った。
事前にそっと現場調査をした。建物の壁一面がクラックだらけ。その状況を本局補償係長に説明し、建物所有者である建設会社社長と補償交渉をすることにした。

電話のあった2,3日後、補償係長と二人で建設会社に向かった。
きっと大声で怒鳴られるだろうと覚悟した。
会社に入って社長室前の廊下に差し掛かった。その廊下に100枚以上もあろうか、神社仏閣の御朱印状がずらりと掲げられていた。その中に加賀一の宮、能登一の宮があった。
そして社長室へ。
こんな御朱印状がずらりと掲げられていた
自己紹介を終え直ぐに「今、廊下の御朱印状を拝見しました。すごい趣味ですね。私は石川県出身ですが、白山神社や気多大社もあり感激しました。」と話をしたら、社長が次々と訪れた時の状況を説明してくれた。そして、「建物を直してもらえばいいからわかった」、「後ほど補償担当者を打ちあわせにこさせます」といって話が終わった。一言も非難の言葉はなかったのである。

自分の趣味に反応した人間に好感を持ってくれたものと思っている。
豊川稲荷へ安全祈願


2017年7月17日月曜日

その器にあらず!二人の暴言許せない(その2) 

二人が放った暴言は次々と波紋が広がっている。
国立美術館柳原理事長について昨日の新聞は次の通り報道した。
富山県が「とやま美術政策顧問」を委嘱したというが、このような人物に要職を委嘱した富山県の見識が問われることになる。
この顔から暴言が発せられた
15日のあるブログに掲載された記事を紹介したい。



国立美術館の理事長の柳原氏の、金沢の美術館界への批判への、再批判が厳しい。柳原氏は、黒部市の出身である。国立美術館の工芸館の金沢移転を巡り、柳原氏が快く思わない発言をした。そこに金沢人の反発を招いた。これは、不二越の本間会長の富山人への嫌悪感発言と、不思議に同期する。
何らかの非が、富山人の側にあり、腹に据えかねた批判が周囲からでたと理解できる。事柄の起源は、昭和時代を超え、明治から江戸時代に及ぶようである。
「加越同舟」という教養が、柳原氏にあれば、こうした金沢人からの反発は生まれない。金沢は、江戸時代、全国で4位の都市であり、富山も高岡もその繁栄を共有していた。七尾港は、加賀・能登・越中の同舟を象徴してきた。この社会経済文化の流れを理解してこそ、北陸人といえる。金沢が栄えることが、共栄の道につながる。徳性が、北陸人の基本である。

僕は兵庫県人であるが、淡路島、播磨、但馬、摂津など「藩政」時代の特定地域の対し、悪口や反感はもたない。相互の敬愛こそ、自己を高める道を知っている。甲子園球場での高校野球、宝塚歌劇団、うまく兵庫県民の一体化に繋がった。ここが、韓国社会の郷党主義と大きくことなる日本人の徳性である。

柳原さん、英語で書かれた日本文化論を原書と翻訳を対象しながら50冊は読破していないと、恥ずかしい公的地位にある自覚を忘れないで欲しい。また、加賀藩の学問文化に果たした貢献を英語で、レポートしなさい。富山人にも、これができる人は居ます。柳原さん、「浦山学派」という黒部の史実もご存知ないかも知れない。徳性は、知性の水準できまる。
富山人のリーダーが、富山人を貶める構造要因はなにか?旧制富山高校の伝統の断絶である。

柳原氏が国立美術館理事長に就任したのが今年4月。文科大臣が任命した。


 選任理由

理事長の選任に当たっては、有識者からの意見、当該法人の理事長に求められる役割等を総合的に判断した上で、任命権者である文部科学大臣が選任したものである。
柳原正樹氏は、美術館の業務に長く携わり、美術館の管理運営の経験が豊富であるとともに、コスト意識もさることながら、美術館は単なる鑑賞の場だけではなく、社会的な役割を視野に入れた活動へと、その姿を変えていかなければならないと美術館のあり方に関する問題意識を強く持っており、当該法人の理事長として求められる知見及び能力が十分にあると評価した。
これらの経験・実績や能力を踏まえれば、同氏が当該法人の理事長に最もふさわしいと考え、今般、理事長に選任したものである。
選任理由が空々しく思えてくる。
さて、一方の不二越会長。

話題となった発言
2017年(平成29年)7月5日 - 記者会見において、自社企業の創立地富山県の人間は閉鎖された考え方が非常に強いことから極力採用しない旨を発言し、富山労働局から公正な採用選考が損なわれるおそれがあり不適切な発言と指摘された[3]。同日の決算発表では創業地の富山県から本社を東京に一本化し、本店も東京に移転する方針を示していた。

·         不二越会長「富山の人採らない」労働局が不適切と指摘     

富山市の大手工作機械メーカー「不二越」の会長が、今月5日の記者会見で、「富山で生まれた人は極力採らない」などと発言していたことがわかり、富山労働局は出身地で採用を決めることは公正な採用選考が損なわれるおそれがあり不適切だとして、各企業に出身地で区別しないよう注意を呼びかけています。       
不二越の本間博夫会長は、5日に富山市で開いた記者会見で、本社機能を東京に一本化すると発表し、今後はロボット事業に力を入れ、ソフトウエアに詳しい人材を全国や世界から広く採用したいと述べました。そのうえで、採用について、「富山で生まれた人は極力採らない」「富山で生まれた人は優秀な人が多いが、閉鎖的な考え方が強い」などと発言していました。
この発言に関連して、富山労働局は本人に責任のない出身地が採用で考慮されることは就職差別につながり、憲法で保障された職業選択の自由が損なわれるおそれがあるとして、本間会長の発言は不適切だと指摘しています。
富山労働局職業安定課の朴木浩地方職業安定監察官は「企業側が出身地を把握することは差別につながりかねない。今後も各企業に広く注意喚起するとともに、就職活動で困ったことがあれば相談してほしい」と話していました。
NHKの取材に対し、不二越経営企画部は、およそ3400人いる従業員のうち8割近くが富山県出身者だと説明したうえで、「生産拠点が富山に集積しているため富山県出身者から多くの応募があるが、さらに広く全国から募集して、分け隔てなく人物本位で採用していく」と話しています。


ブログ記事から

今後もこの二人の批判は当分続くであろう。
                                            

2017年7月16日日曜日

新幹線工事監理業務3年目(最終章)

昭和49年も半ば、軌道敷設工事が着々と進められ、残る土木工事も急ピッチで進められた。現場事務所では東北新幹線建設のため、福島や仙台に転勤する者が出てきた。
そのころ、北陸新幹線建設の兆しが見え始めたので、「俺は北陸新幹線だ」と決意した。が、当時の新幹線建設は駅部区間を除き、上越新幹線と北陸は鉄建公団で実施することが決まっていた。担当は駅部区間でもいいし、公団出向でもいいかなと思っていた。
そんな考えのため、東北新幹線への勧誘は頑として拒んだのである。
12月初頭から試運転列車が運行を開始した。
土煙りを上げながら疾走する試運転列車
疾走する試運転列車を眺めていると、困難を極めた過去が頭をよぎった。
異常出水の現場確認

ここを何往復したことか
8月には同僚2人と片道1千kmの能登へドライブした
全職員で南九州旅行

宴会で、はっちゃかめっちゃかもあった
工事の安全祈願は宮島さんへ行った。
当時元気だった人だが物故者も何人か
5年前、孫と一緒にこの思い出多い宮島へ。当時の思い出が走馬灯のように頭をよぎった。
11歳と8歳の孫と69歳のじいじ
試運転が開始されたことに伴い、広島新幹線工事局全職員を対象に、博多まで「線見」という名目で試乗が実施された。
私は隣接工事区の5年後輩と博多まで、こだまの最後尾運転席に乗り往復した。途中、こんな状況で本当に3月10日に開業できるのか心配した場所が何か所もあった。

時速200km/hで担当現場通過、このシャッターチャンスをとらえるのに困難を極めた

同上か所の工事中の写真
昭和50年が明け、職員がどんどん少なくなってきた。ところが、隣接の五日市工事区、玖波工事区が閉鎖統合されて数名が増えた。
3月に入ったある日、分散会が開かれた。
紐を回しながら歌を唄い、止まった結び目の職員が次の歌を唄う
そして3月10日、全職員が広島駅ホームに整列して新幹線開業式典が挙行された。
広島駅での開業式典
3月月末の岐阜工事局転勤まで、大量に処理しなければならなかった残務整理で、引っ越しの車が到着するまで徹夜作業を続けた。
4月1日付け、岐阜工事局線増第三課勤務を命ぜられた。

2017年7月15日土曜日

その器にあらず!二人の暴言許せない 

富山の不二越会長本間博夫氏と国立美術館柳原理事長が、富山県民と石川県民の心情を逆なでする発言があいついで起こった。
本間博夫氏は5日、富山市内であった決算会見で富山県民を愚弄する発言をした。
富山で生まれたものは全員保守的で会社人間にふさわしくないから採用しないと云ったという。
また、国立美術館柳原理事長は13日、富山市内で金沢へ移転が決まっている国立美術工芸館の移転先である兼六園周辺文化の森について、ぼろくそにけなしたのだ。それに加えて、マルビーの入館者数について、「入場者と退出者を足してカウントしている。そんなに入場者がいる訳がない」と発言したのだ。

吾々としてはこの両者の発言を許すわけにはいかないのである。
発言内容から、根拠のない暴言と言わざるを得ない。
柳原理事長に対して、知事、市長、馳衆院議員から反論が出た。当然である。

二人ともその要職の任にあるべきではない。即刻解任がふさわしい。