2017年6月30日金曜日

つい見過ごしてしまう景勝地

松本清張のゼロの焦点で一大脚光を浴びた能登金剛。先般の能登地震で関野鼻が崩壊したという。私が能登金剛へ行ったのは、昭和38年の転勤直前に職員家族慰安会が実施されたとき、バスで訪れたことを思い出した。2度めは子供を連れて親子4人で行った。
ごつごつした岩と、荒波と波の花が舞う奥能登外浦、白砂清松の内浦、能登の観光地の景色は両極端だと言っていいだろう。

白砂清松の内浦の代表格に「九十九湾」がある。遊覧船乗り場から乗船し、典型的なリアス式海岸の変化を楽しむ観光客は多い。
私も何度か遊覧船に乗船した。湾の畔に金大の水産研究所があるのだが、そこへ行くにはどうすれば良いのか今もわからないでいる。

殆どの観光客は遊覧船で九十九湾観光して満足して他に足を向けている。だが、本当の九十九湾の良さがわかるのは他にある穴場である。
ところが、そこに行くには非常に分かりづらい。遊覧船のりば付近の県道の坂道を登り、やがて海岸が見える付近から脇道に入って駐車場がある。その施設の名称を「のと海洋ふれあいセンター」という。
位置図
駐車場前の案内図
この施設には展示場や映画館まで整備されている。私が行った時には立体映画が上映されていた。スクリーンから大きくはみ出して魚が泳いでいるシーンは圧巻であった。
館内
このふれあいセンターから4,50m離れたところが九十九湾である。そして海中に整備されている遊歩道が素晴らしいのである。
プールよりも透明度の高い海水、湖より穏やかな海面。海藻と魚の群れ。正に別世界。


この遊歩道は1kmにも及び、ここが本当に海?と驚きの連続なのだ。





遊歩道とは別なのだが、九十九湾の崖の上に百楽荘というホテルがある。この崖をくり抜いて設置されたエレベーターを降りるとレストランや釣り桟橋に行ける。
家族連れで大賑わいの素晴らしいところもあるので一度如何でしょうか。
釣り桟橋

2017年6月29日木曜日

高齢者はもっと笑うべし!

抱腹絶倒、腹を抱えてひっくり返るほど大笑いすることをいうが、最近は若い頃ほど腹がよじれるほど笑う機会が無くなってしまった。
それが体に良い訳がないらしい。もっと生活習慣に笑いを取り込めと医学界でも推奨するようになった。
公民館の教室で、元アナウンサーの横田幸子氏を招いて講演会を開いたことがある。テーマは「笑顔のチカラ」だった。横田講師は笑顔の効果を実践を通して語られた。

横田幸子講師
この話の中で、笑いは免疫力を高めると解説された。笑うと免疫力が高くなることも医学的に実証されたと新聞報道があった。
免疫力が高まる!
笑顔の作り方の指導を受けた
そこでもう少し突っ込んで笑いについて研究してみよう。
「笑わない人は損なんですよ! 今日は笑いましょう。ハッハッハー」と、自ら軽やかに笑ってみせるのは永井博弌さんという人に登場してもらおう。

笑いは単に、楽しい感情をアウトプットする行為にとどまるものではないという。永井さんによると、私たちの心身において笑いが作用する対象は大きく3つあるのだとか。
さらに2つ目は、脳。脳内麻薬と呼ばれるドーパミンやエンドルフィンの分泌を促すほか、脳内の血流量を増加させる働きもあるという。

そして3つ目が、免疫力。笑いには、免疫細胞であるNK(ナチュラルキラー)細胞を活性化させる作用がある。これは、笑いによって分泌されるエンドルフィンの働きだと考えられている。

NK細胞は体内をパトロールして、ウイルス感染や細胞の悪性化が起こっていないかを探るほか、異常が発生した際には最前線で防衛部隊として働くという重要な役割を担う。「ただし、非常にナイーブな性質をしており、ストレスや加齢などによるパワーダウンは避けられない。そこで、弱体化したNK細胞を活性化させ、十分な免疫力を発揮するために有効なのが、笑いの力なのです」(永井さん)。

こうした効能を証明する調査結果は、すでに多数発表されている。
たとえば、20~62歳のがん患者を含む男女19名に約3時間にわたって漫才や喜劇を鑑賞し、大いに笑う体験をしてもらう。その前後のNK細胞活性率を調べたところ、もともとの活性率が低かった人は上昇し、高すぎた人に関しては低下するという結果が見られた。つまり、笑いの後には総じて、NK細胞の活性率が正常に近づくような調整作用が起こったというわけだ。

笑いの効果は絶大だということは理解できたのだが、高齢になるほど生活習慣で笑いが遠ざかっているのが現状である。長年生きてきた経験の積み重ねで、ちょっとやそっとのことで「笑えなくなった」と考えられる。
だが、笑顔でいる時間を増やすことは容易なように思える。笑顔でいればきっと「抱腹絶倒」の機会が訪れるに違いない。


2017年6月28日水曜日

職務パスと組合員証

国鉄には職務パスというものがあった。
正式名称を鉄道乗車証という。
これは全職員一律に支給されるものではなく、職階で使用範囲が何段階にも分けられていた。


乗車証の有効期限は1年。区間は国鉄全線が最上級。最上級パスはだいたい40歳を超えないともらえなかった。
私は34歳で助役を拝命した時、全線パスをもらったが、1年後本局勤務になって一般職員に復帰した時には中部支社管内に降格されたものである。
支社管内の下位に管理局線管内があった。これは職員採用の2年後以降でないともらえなかった。

私は昭和36年3月1日に臨時職員、4月1日試用員、6月1日職員に任ぜられたのだが、この職務パスは職員任命の2年後まで出ない。
だが、この職務パスと全く同じ色合い、字体で労組から組合員証が配布された。
もちろん有効期限や区間といった文字はなく、発行者は地方本部長となっていた。これが職務パスと同等の効力を有していたのである。

当時、総評傘下の国労は私鉄総連と相互乗車の協定を結んでいた。
昭和36年6月から6週間、三島の学園で研修を受けたのだが、土、日にはこの組合員証をフル活用した。箱根周遊、伊豆大島方面、東京、三浦半島、東照宮方面の旅行を大いに楽しんだ。
組合員証の効力は絶大で、箱根のロープウェイ、芦ノ湖遊覧船、六国峠のケーブルカーまで組合員証が有効であった。
だが、国鉄は国労以外の当局寄りの組合所属職員もいて、この職員は相互乗車を違法乗車として見つけ次第厳しく取り締まったのである。

三島から丹奈トンネルを抜けると熱海駅である。熱海見物を終えて駅改札を通ろうとしたとき、駅員に組合員証を取り上げられ、大勢の乗客の切符を切りながら厳しく詰問された。
「そんなもんで乗れると思うのか。君はどこのだれか・・・」など長時間公衆の眼前でさらしものにされた。
立山登山から富山駅に向かう際に地鉄に組合員証を提示したら、「うちはだめです。乗車券を購入して」と断られたこともあった。彦根付近で車掌が検札にきて、また組合員証を取り上げられ違法乗車をきつく咎められたこともあった。金沢には新国労の組合員が多くなっていたので、相互乗車をためらう私鉄社員がいたのだが、北鉄は長くそれに応えてくれた。

2年後、晴れて管理局線管内パスをもらうことができて安堵したものである。



2017年6月27日火曜日

北陸線終着駅上野のあれこれ

急行能登や白山が活躍した時代の話である。
金沢駅を午後10時前後に出発した夜行列車は、信越線を経由して早朝6時に上野駅に到着した。上野は全ての東京以北の始発駅であり終着駅であった。
そのころの東京駅は、大阪・九州方面の始発・終着駅。

中学・高校の修学旅行は関西九州方面だったので、東京は昭和36年に就職して三島の中央鉄道学園三島分教所へ6週間の研修に行った際に、初めて訪れた。本社見学のほか、浅草、皇居等を見物するため2,3度訪れた。

そして能登線建設のため2年半ほど能登勤務をして、昭和38年10月、岐阜工事局本局に転勤の途中、姉の結婚式のため家族全員と上京したのが2度目であった。
たまたま昭和38年の上野駅ホームで列車到着の写真を目にした。


当時の服装や手に持った旅行バッグ、風呂敷づつみ、小荷物運搬車など、とても懐かしい情景を捉えている。
この上野駅は昭和7年に完成したという。


現在の上野駅
この駅にそっくりな駅が中国にあるのをご存じだろうか。
その駅は大連駅である。
中国・大連駅
大連駅の竣工は昭和12年で、ほぼ当時の姿のまま現在に至っているという。設計を担当したのは南満州鉄道株式会社の太田宗太郎。2階が出発、1階が到着というようにフロアを分けた構造になっているところは空港のようであるという人もある。

上野駅の駅舎は大連駅の5年前に完成しているので、大連の方が上野を参考にしたと考えられる。上野駅の設計者は鉄道技師であった酒見佐市という人。上野駅の外壁には腰部分に稲田産花崗石、壁の部分には多胡石や小松石の砕石を混ぜたモルタルが使われている。日本では、大正12年に発生した関東大震災以降、耐震基準が見直され、駅舎の建物にも十分な強度が求められたとされる。
大連に地震が多いという話は聞いたことがないが、まだ大震災の災禍の記憶が生々しく残っていた時代に日本の建築家が第一に考えたのは、やはり安全性だと思われる。大連駅の設計思想が、装飾性を排除した安定感のある凸型の直方体に落ち着いたのも、時代の流れだったのかもしれませんね。


それにしても、現在も二駅とも第一線でそれぞれの国で、十二分に機能を発揮していることは愉快に思うのである。

2017年6月26日月曜日

婚活で大活躍した生保のおばさん

昭和30年代から平成に入る頃まで、日本全国津々浦々に個人情報をたくさん持ったおばさんが大勢いた。
ある玄関先の立ち話。
「どこどこの〇〇さんは25で、5人兄弟の長男さん、銀行に勤めていて車も持っているんだって。どうやろ、あんたの娘さんにぴったりだと思うけど」
生保の営業でいろいろな所を回り歩き、大量の情報を得ることができた生保のおばさん。
こんな話を村の隅々まで持ち歩いた。

平成に入って生保のおばさんがめっきり減ってしまった。
加入募集から契約締結までパソコンで簡単に手続きが終わってしまうように時代が変わった。
これに合わせたように、結婚をしない男女が増加している。
男性の未婚率
この表を見て驚くのは、40歳で30%、65歳でも11%も未婚の男性がいることである。
では、何故結婚しないのか。

大半の男女は、まだ適当な人に巡り合わないからと回答しているところから、かつて大活躍した生保のおばさんが今いてくれたら随分未婚率は減少すると考えるのだが・・・・。


未婚率の推移を見ると、やはり平成時代に入る頃から急激な上昇率を示している。
終身雇用という日本企業の伝統が崩れ、非正規労働者が増えた頃と一致している。
平成22年で生涯未婚率が男性で20%を超えているではないか!
20年前、香港へ旅行した時、香港の女性は結婚年齢が急激に上昇しているという話を聞いたことがある。そのころの香港は道行く殆どの男女は携帯電話で話しながら歩いていた。日本はそんな風景になるまで5年くらい要した。そしてやはり香港と同様に女性の未婚率が上昇した。


未婚の男女も増えているが、離婚して子供を連れて実家に帰ってくるパターンも、近所でさえ多くあるようになった。親の経済力がそれを許しているのだろう。

さて、生保のおばさん、隠れていないで出てきて何とかしてー。

2017年6月25日日曜日

石川産の農作物に高評価


ある農産物の規格がある

〇笠の直径が8センチ以上

〇厚みが3センチ以上

〇巻き込みが1センチ以上

〇形は丸く、割れなどがない

この農産物は一体何なのだろう?
正解はブランド名を「のとてまり」という。

超高級ブランドシイタケ、石川県の奥能登で栽培される「のとてまり」である。1箱6個入り3万5000円――。3年前に金沢市中央卸売市場で行われた初競りでは、1個6000円前後の値がついた。この値はもちろんマツタケをも超える。
1箱6個入り35,000円

この椎茸は「noto(のと)115」という椎茸菌を原木に植え付けし、一本から一つしか取れないような貴重な椎茸で、しかもその中で協会に『のとてまり』と認定されるのは収穫量全体の45パーセント程しかないといわれる椎茸である。
能登の気候がシイタケ栽培に適しているからなのだろうが、生産者の並々ならない努力が実を結んだのだろう。

もう一つ脚光を浴びてきた石川ブランンドがある。
そう、「ルビーロマン」である。
この甘くて大きな葡萄の誕生には、知られざる様々な苦難の歴史があるという。 ブドウで生計を立てている農家の願いと、美味しいブドウで育った石川県民の願いをかなえようと、22年も前に、石川県農業総合研究センター砂丘地農業試験場では、「藤稔」という黒色の大粒ブドウから採取した種400粒を試験圃場の片隅に播いた。

1人息子のように大事に大事に育てた幼木は、平成9年頃から実を付け始めた。しかし、400本の樹の中で赤い実を付けたのはわずかに4本だけ。この中から、味、色、房や粒の大きさなどの品質、栽培のしやすさなどの地道な調査を繰り返し選ばれた1本が、「ルビーロマン」の原木となったのである。

1箱110万円で落札
そして、その後も大切に育てられ、種を播いてから品種登録申請(平成17年3月)にこぎつけるまで11年。その間、10数人の職員が“夢を引き継ぎ”育成に関わってきたのである。長い歳月を経て、多くの人の夢と期待を背負って誕生したのである。
農業総合研究センター砂丘地農業試験場でこつこつと努力された関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。

最近、京阪神の料亭で加賀野菜が好評なのだという。
魚はのどぐろ。水揚げは他県のものが殆どというが、なぜか金沢の「のどぐろ」を食べに大勢の観光客が押し寄せている。
七尾では「のとふぐ」のアピールに懸命である。人気沸騰を期待したい。

2017年6月24日土曜日

論より証拠

単調な日常生活を繰り返していると、時間や年月の経過に疎くなってしまうものである。
10年前の自分の姿の写真を見ても今とそんなに変わっていないように思う。
ところが、である。
10年前の子供と一緒に写した写真と、今の子どもの写真を較べた時の衝撃は極めて大きいものがある。
12年前は二人の孫を腹の上に乗せて遊ぶことができた
平成17年だから私は62の現役時代である。
そして63歳の私の誕生日に写された写真があった。

コーヒーの豆を挽いていたら孫がよこせという。下の孫もいっしょになって「タケルもー」と要求している。
そして今年の二人の誕生日の写真である。
5月15日が下の孫
5月27日が上の孫
12年でこれだけ成長するのである。
と、いうことは、それだけ自分も年取ったということだ。
そんなことを思うと、これからの毎日は漫然とした日々を送るのではなく、充実した毎日を過ごさねばと思うのであるが・・・・。