2017年6月2日金曜日

にっぽん縦断「こころ旅」石川県内の4日間終わる

今週月曜日から、NHKにっぽん縦断「こころ旅」石川県内の放送が始まり、今日2日で終わった。
月曜日を除き自転車部隊は火曜日に志賀町、水曜日輪島市から能登町寺分、木曜日穴水町前波、そして今日穴水町向洋小学校を巡った。4日間全て能登であった。
どこも天候が良くて映像がとてもきれいだった。

「私の心に残る風景」を去る4月17日に原稿募集締め切りに何とか間に合わせて応募したので、ひょっとして私の心に残る風景を巡って映してもらえるかも・・・と期待していたのだが、残念ながら不採用になった。

投稿した手紙の内容
正平さん、チャリお君、スタッフの皆さん、いつも楽しくこころの旅を拝見させていただきありがとうございます。
 私のこころに残る風景は、今から55年前、石川県能登町の田ノ浦海岸から眺めた、富山湾の水平線上に浮かび上がった立山連峰の白く輝く山並みです。
昭和37年2月、能登線建設のため現場で線路中心測量をしていました。冷たい北風が吹きすさび、かじかんだ手をこすりながら測量を進めていました。
 そんな一瞬、何気なく海を見たら、それはそれは素晴らしい景色が広がっていました。おそらく光の屈折状態が影響したのだと思われ、くっきりと手に取るように大パノラマを眺めることができました。そしていつの日か、あの白く輝いた立山連峰に登って見たいと思いました。
 見えた時間帯は午後三時過ぎでした。午前中は逆光で殆ど見ることはできません。また、いつでも見える訳でもありません。「運が良けりゃ・・・」なのです。
 能登線は翌年10月に宇出津、松波間が開業、その翌年、松波、蛸島間が開業し全通しました。開通式では、地元住民が日の丸を振って歓喜に沸く姿がありました。しかし、時代は変わり今はもうその線路は廃止され、田ノ浦付近は路盤が残っているのみとなりました。
 あの田ノ浦海岸から眺めた立山連峰の大パノラマを思い出すと、能登線建設の思い出がセットになって蘇ります。
 正平さん、ひょっとすればあの大パノラマを見ることができるかもしれません。田ノ浦海岸から是非もう一度立山連峰を見せていただけたら最高の幸せです。

                                                        以上
こんな風景が見られたかも
昨日と今日の番組で、立山が少しだけ眺めることができた。番組で火野正平曰く「年に4,5回しか見られない景色が見える」と言っていたが、季節によるが実際は月に4,5回は見ることができる。思い出に残る風景に出会いたかったなー・・・・。

2017年6月1日木曜日

定年後何をしようかと悩みもしたが(その1)

60歳で定年となって、「嘱託で延長しますか?」と問われてから4年目の64歳の時、「もう1年延長しますか?」と問われた。
業務は1日中パソコンで予定価格工事費積算業務や設計図面の審査。土木系の設計図面では鉄筋コンクリート構造物が多い。パソコンで細かい配筋図を見ているとパソコン画面から目を離しても、ものが二重に見えるのである。電柱が2,3本に見えるときもあって、もうこれ以上仕事を続けることはやめようと決断した。
12月の誕生日で64歳を迎えたが、役所関係は年度末退職となるので翌年の平成19年3月末を以って退職した。
退職記念に貰った花束と孫と 自宅に帰って退職記念写真
60歳になる頃、定年になったら何をしようかと考えた。囲碁教室に毎週通っていたので碁会所通いもいいかな・・とか、写真をやろうか・・とか、夢は膨らんだ。

平成15年、私は60歳だった頃、4年毎にまわってくる町会の役員(ブロック長)を所属する班から出さなければならないという話があって、まだ1回も役員という役割をやったこともなく、今やらなければ4年後になるので若いうちにやってしまおうと考え、役員を引き受けることにした。そもそも、これが後の人生に大きな影響を及ぼすことになるのだが。

西欧人は1日も早く定年になりたいという。日本人の感覚とはずいぶんかけ離れている。定年になれば人生を謳歌できるというのが西欧人である。
何十年か前、金沢の山環道路予定地に軽飛行機が不時着した。この人はイギリス人で定年になって飛行機を購入して世界一周中の事故だった。こんな趣味は定年後でなければできないことだ。怪我が回復後、予定通り世界一周に飛び立った。
海外旅行でも西欧人の高齢者夫婦の旅行客に多く出会う。日本人と数のスケールが違うのである。

町会役員になって町会長から総務担当を指示された。町会の行事に全く参加したことのない人間には、その行事執行のノウハウから学ばなければならなかった。
パソコンは何でもこなせたので町会長は私を重宝した。町会だよりも編集することになった。任期は1年が基本だが、町会長の権限でさらに1年の延長を命じられた。

そして3年目となってお役御免。囲碁に集中した。囲碁は格闘技と云われるのをご存じだろうか。
相手の石を死滅させたり攻められている石の生還に全力を傾けるのが囲碁なのである。
これも先天的な能力差は如何ともしがたい。ただ実戦を多く踏めばいいというものでもない。だが、下手は下手なりに楽しむことができるゲームではある。

平成17年の年末、町会役員4,5名が家にやってきた。町会長が体調を崩したため退任する、その後任にと説得に来たという。毛頭その気が無かったので当然お断りした。2,3日してまたやってきた。しばらくしてまた。「何遍来てもらっても絶対やりません」と断っていた。
そのうち町会長からちょっと家までご足労をお願いしたいと電話があった。
訪問すると「早速だけど書類をまとめたのがここにある。よろしく頼む」といわれたので、「冗談じゃありません、私にはそのつもりは全くありません」といったが、70を回って急に体調がおかしくなった、なんとかお願いしたいと哀願された。
「1年だけなら引き受けてもいい」と返答してしまった。そして、1年しかやらない担保として、総会で規則の付帯事項の決議を承認してもらうことを条件にした。

町会長という役職はピンからキリまでこなさなければならない。やれどもやれども終わることがないのである。旧態以前とした町会業務の改革に着手した。文書類の電子データ化のために町会にパソコンとプリンターを導入することにした。毎月班長が町会費を集金していた役割を年2回払いに簡素化した。防犯意識向上のため、わんわんチャリンコパトロール隊を結成した。中高齢者を対象にしたパソコン教室も開設した。

こうして63歳が終わってしまった。定年後何をするかなんて悩むことはどこかへすっ飛んでしまったのである。
この町会は十数年前から集会所改築資金積み立てをしていた。集会所の2階は床が抜ける心配のため2階の使用を制限したり、エアコンが不調、床がぶかぶかするなど老朽化が目立ってきた。

そのため、改築経費の試算をやってみたら、補助金を含め若干の借り入れをすれば改築できるという目途が立った。こうして任期1年が過ぎようとしたので、町会長候補者を募集することにした。役員全員で20数人の適任候補者宅へ一人ひとりお願いして歩いた。だが誰一人として受け手が現れなかった。役員会の善後策を協議していたら、ある役員が「集会所の改築に取り組んだばかりで、途中から後は知らんでは余りにも無責任ではないか」という意見が出た。義を見てせざるは・・・と自分に言い聞かせて2年目に入った。

2年目は集会所改築プロジェクト検討委員会を立ち上げたり、マルハン進出計画に伴う協議を実施したり、町会ホームページ制作に挑戦、町連役員就任など多忙を極める年になった。
この年末にも町会長募集をしたが立候補者なしで次年度もやらざるを得なくなった。

平成21年に入り集会所改築計画の諸団体との調整、補助金申請や設計書をまとめ、いよいよ3階建てエレベーター付き集会所の起工式を挙行した。
仮集会所の借家交渉もからんで業務はひっ迫状態が続いた。

2017年5月31日水曜日

万里の長城ウオーク

人類が地球上に築いた構造物で、月から見えるのは万里の長城だと子供時代に聞いたことがあって、最近までそうだろうと信じてきた。ところが、中国の宇宙開発が進み2003年神舟5号に乗った宇宙飛行士が、「万里の長城は見えなかった」と云ったそうな。
延長は8000キロにも及ぶが幅が小さいため見えないのだとか。

北京市北方60kmにそれはある。そこに行くには市内から高速道路に乗るのだが、日本の高速道路は往復4車線が普通。それが国道や県道等々と並行していて一体どこまでが道路なのか検討がつかないくらい広い。10車線以上はあるのだ。
そこに行ったのはもう20年も前となったが、その沿線の古いレンガ造りの家は壊されつつあり、超高層のビルが林立し建設中でもあった。土地の私有はない国だから、建設前の移転補償問題がなくて、さぞ、住民は泣かされているのだろうなと余計な心配をした。

長城は何せ山の稜線に築かれているので、アップダウンが大きい。
駐車場から長城を目指す
稜線に延々とそれは連なっていた
私は土木技術者として生業をたててきたため、これを建設する計画を建てる事前の測量作業はどのようにしたのか、建設資材の調達方法、運搬路築造や、建設工程がどうだったのか、あれこれ想像したのだが、これは「超難工事」であったに違いないと思った。

秦の始皇帝から明王朝まで何回も王朝が変わったが、この長城を構築整備したのは全ての王朝ではなかったという。玄宗皇帝なんかは一切無関心だったようだ。最も熱心に取り組んだのは明王朝である。信長、秀吉時代の明王朝は強大な権力を保ったという。しかし、この長城に立てこもり、実際に外敵と戦ったという具体的な記録はない。なのになぜ莫大な経費をかけて整備したのか。
北朝鮮の核や弾道弾開発と共通する目的があるのかも知れない。戦いを防ぐ抑止力なのだろうか。

堅牢に築造されており、手抜きなどは一切ない
我々が行った時は中国の連休の最中であったため、通路は過密状態であった。

かなり遠方まで歩いた 通路はごった返し
8,000キロに及ぶ長城は維持管理が行き届かないため、荒れ放題となって石も剥がされ盗まれ放題なのだ。最近、ある地域で修理はしたが、コンクリートで舗装しただけの丸裸状態になって不評だったことがニュースになったりした。


この写真は、業者が勝手に撮影して高額で売りつける商法のものであるが、一切要らないと断った結果、半額になったので買ったものである。
どこの観光地に行っても「日本人はいいお客さん」なのだ。

2017年5月29日月曜日

猫の額ほどの畑(その2)

昨日は天気が良かったので、夕方になってから裏の畑のキュウリ用の棚を設けた。
キュウリは連作を避けるため、今年は右端に植えたので門扉のすぐ傍となったので出入りにちょっと邪魔になるかも・・。

幅は約3mくらい
5株のキュウリなのでこれくらいが適当なのだ。
よその畑では年がら年中何かが植えられているが、ここは家の後ろで北側に位置しているため、秋から冬の間は日光が当たらない場所となっている。そのため、この時季だけの畑である。
5月3日に植えた苗は、キュウリに花が咲きおそらく食べられないであろう実が付き、ナスにも一つ実が付いた。


トマトも花が咲いた
トマトはミニトマト。収穫時期になると毎日20個ほども採れる。苗はまだ小さいが6月に入ると枝があちこちに張り、上にも伸びる速度が速い。
野菜売り場で一山100円で買うことができる。が、毎日水をやりながら成長する様を眺めるのが楽しみなのだ。


2017年5月28日日曜日

もうすぐやってくる百万石まつり

百万石まつりが来週に迫ってきた。
6月2日(金)は金沢神社や成巽閣で行われるお水取りの儀式や洗筅供養から始まって、浅野川で加賀友禅灯ろう流しがある。また、広坂緑地では市内の5年生・6年生9千人が一堂に集まってちょうちん太鼓行列の出発式が行われる。
私はちょうちん太鼓行列と大名行列に実際参加したことがあるので、その体験について記したい。

大名行列の前日午後7時から行われるちょうちん太鼓行列の出発式は、広坂迎賓館前の広場に全市内の高学年(5,6年生)が集合して実施される。この組織は金沢市少年連盟で、9千人が集まって実施される出発式は実に壮観である。会場まで各校下の少年連盟の役員が引率して来る。遠方の校下は観光バスでやってくる。
殆どが集合した開式前
セレモニーは市長や市議会議長の挨拶のほか、教育長、少年連盟会長の挨拶が続く。
最後に万歳三唱となる
セレモニーが終了すると、校下少連ごとに順次出発する。人数が多いので出発までかなりの時間がかかる。
出発の頃は夜の帳が降りてちょうちんの灯りが美しく揺れる。
市役所の前に差し掛かると一斉に「金沢市バンザーイ!」とちょうちんを一斉に高く掲げる。
子どもたちはきっと大きくなっても金沢市に誇りを持ち続けてくれることだろう。
香林坊から方向別に分かれて行進する。
我々は約3km弱の行進で公園広場に到着し整列後、学校長の挨拶で解散となる。

翌日は大名行列が実施される。行列参加者は朝から商工会議所に集合し着付けが行われる。
十数名の家老級のメンバーは各校下の町連会長がその任にあたり、足軽級は校下町連役員2,3名が選出されて構成される。家老役をやる人は、毎年同じ家老をやるのが暗黙の了解となっているようだ。

着付けや美容師は京都の専門家なのだ。会場一杯に衣装や道具が並べられて着付けが終わるのに長時間かかる。
3時間くらい経った頃、隣接するお寺の敷地に全員が集合し、路上演技の訓練が実施される。
訓練を終えて記念写真撮影
ここから金沢駅前地下広場へバスで移動する。ここでは女性群の踊りの練習や消防団員の点呼が行われ、あの広場が所狭しと埋め尽くされる。
約2時間後、金沢ホテル前の出発点へ移動する。
待機中
孫が応援に来てくれた
ここでも路上演習。100mくらい旗竿を持って往復全力疾走せよという。それだけでどっと疲れが出るのである。
ここでも1時間くらい、ようやく出発となった。駅前、武蔵、南町、香林坊、市役所の前で演技。風で旗竿が倒れそうになったり、わらじが擦り切れてしまったりと、見ている者とやっている者の大きな違いは、やった者しかわかんないだろなぁ。
粛々と隊列は続く
金沢城内では演技がなかったので実にホッとしたのである。
後日、事務局から出演料が送られてきた。金10,000円也。もう一度出演して欲しいと頼まれても丁重にお断りしたい。だが、貴重な体験で一生の思い出になっている。
百万石まつりバンザーイ!

2017年5月27日土曜日

払いたくても払えない!給湯器の修理費

3か月ほど前、給湯器がダメになって取り換えしてから10年経った給湯器の調子が悪くなった。
給湯の設定温度をはるかに上回る湯温となったり、浴槽に給湯する水量設定も狂ってしまった。
取説をさがしてメーカーの取次店に電話した。ところが、取次店曰く、「金沢市内にあったメーカー直営の支店が閉鎖され修理も取り扱っていない。ほかの電気店に依頼します」と。

間もなく、「修理依頼のあった電気屋です。当社は富山市にあります。給湯器の機種名は何でしょうか」という質問があり、しばらくして、「製造終了から10年を過ぎているので、部品の生産は打ち切りとなっています。現物を見せてもらいます」と、数日後に来宅してくれた。

「どんな具合なのか実際にお風呂を沸かしてみます」、ということで給湯のスイッチを入れた。
浴室の制御盤
しばらくして、「お風呂が沸きました」と音声ガイド。お湯の温度、湯量とも正常。「あれ?なおっているみたい」ということになり、「様子が変な場合はまた連絡してください」といわれて電気屋は帰ったのである。

次の日、湯温が高く、湯量も溢れるばかり。翌日電気屋に様子を伝え、数日後に来宅してもらった。
電気屋が自らスイッチオン。その結果は湯温が高く、湯量もオーバーとなった。
「給湯器の制御盤が故障しているのかもしれないが、手持ちがないので手配してみる」といって帰って行った。数日後、「在庫がようやく見つかったので明日お伺いします」と連絡があり、次の日、給湯器の蓋を開けて制御盤を取り換えた。そして、お湯をはったのだが、湯温、湯量とも異常のままであった。
給湯器
「浴室の制御版かも知れませんね。これも取り換えてみましょう」と1週間程待った。
そして取り換えてスイッチオン。その結果、正常に作動した。「しばらく使ってみて下さい」といって帰った。
次の日、スイッチオン。だが、異常値となった。この結果を連絡して元の制御盤に戻したのである。
電気屋は納得がいかない様子で、給湯器のバルブ調整をかなり長時間やっていた。
「どんな様子かまた連絡してください」と帰った。

その給湯器がどういう訳か、3日前から異常が発生しない。だが、ずーっと続くとは限らないのである。
それにしても何回も富山から来てもらった電気屋にまだ1円も手間賃を払っていない。
電気屋に、すみません、すみませんと謝っているのだが・・・・。
電気屋曰く、「私は一人でやっています。富山はもちろん、能登、加賀まで仕事に行っています。ついでですから気にしないでください」と言ってくれてはいるのだが・・・。

2017年5月25日木曜日

京劇とフラメンコ

北京市内のうらぶれた街並みの一角に、京劇を演ずる余り大きくはない劇場がある。
京劇を特に見たいと希望したわけではないが、ツアーの一部に組み込まれているので、そこへ案内された。
客席は100席ほどだろうか。しばらくすると大音響の太鼓と銅鑼等の中国民族楽器の音が響き渡り開幕となった。
演題は三国志と西遊記。甲高い歌声と大音響の楽器の音は、慣れないものにとっては騒音となる。身体に旗を4,5本立て薙刀のようなものを振り回しながら演ずる。しばらくすると京劇の面白さが分かってきたような気がした。

京劇の特徴として舞台装置はほとんどなくほぼ素舞台の状態で、場面を推測するヒントになる最小限の道具が置かれているだけ。基本的な道具として「一卓二椅」(一つの机と二つの椅子)と言われるが、そのまま机と椅子を表すこともあれば、ベッドあるいは山を表したり、帳(とばり)を付けて寝室や軍の陣営を表したりする。最小限の情報だけを示して、観客に想像する余地を大きく残しているのだという。

京劇は「歌唱、セリフ、しぐさ、立ち回り」という4大要素からなる総合芸術といわれ、ペキン・オペラと英訳される通り、歌唱の重要性は大きく、また楽しみどころでもある。京劇を観ることを「京劇を聴く」と言われる所以といわれている。


演劇が終わると、観客に舞台に上がれという。
西遊記
出演者と記念撮影
ツアーに参加した6名が舞台に上がり記念写真を撮った。

さて、話しが一変するが、伊勢志摩スペイン村に行き広大な敷地を色々回ったのだが、フラメンコショーが演じられている劇場があったのでそこに入ることにした。

フラメンコは、激しい足さばきと手足のしなやかな動きに特徴のある、スペインの伝統的なダンスである。
演劇場パルケエスパーニャで、本場スペイン人ダンサーによる本格的なフラメンコショーを毎日公演している。

スペイン本国でのオーディションを勝ち抜き、来日したフラメンコダンサーと、フラメンコミュージシャンによる演奏をスペインにてスタジオ収録した迫力ある音楽。
日本にいながらにして、まさに本場スペインの臨場感を体験できるのである。

ショーは、ダンサーの生の迫力に加え、ダンサーとのかけ合いや手拍子など観客参加型の要素を入れたり、カスタネット、アバニコ(扇子)、マントン(ショール)、カホン(打楽器)など、フラメンコで使用される代表的な小物を随所に使用したりと、誰でも楽しめる飽きのこない構成になっている。

フラメンコに欠かせない楽器と言えばギター、その他「カホン」と呼ばれる箱型の打楽器や現在ではピアノやフルートなど様々な楽器も使用する。
また、最も使う楽器はカスタネット。小学校で使う青と赤の物とは異なり、黒色が多く、またゴムの代わりに普通のヒモが付いている。
ダンサーは親指以外の指を一本ずつ使い、片手だけで1秒間に10回以上も叩いて音を出すという。

最も特徴的な動きは「サパテアード」という足さばき。
非常に速いスピードで床を踏み鳴らすステップで、靴音がよく聞こえるよう、靴底には釘が打ってある。上手なダンサーは、頭の高さをほとんど変えずにサパテアードすることができるという。
また、手や指のしなやかな動きもフラメンコの特徴なのだ。
ここでも舞台に上がった
観客一体型のフラメンコ、「オーレィ!」。