2017年5月23日火曜日

突発性難聴の再診

突発性難聴は原因不明とされており、300万人も罹病しているという。
最も多い年代は50代で、若年者にも発症する人が増えているというデータがある。

去年の1月中旬、何の前触れもなく急に左側の耳の機能に不都合が発生し、音が聞こえなくなった。そのため、橋場町の耳鼻科に駆け込んで診察してもらった。1か月ほど毎週通院したが改善がなかったため、藁にもすがる思いで駅西地区の耳鼻科に変えてみた。診察は毎回聴力試験から始まる。悪くない右側も測定した。診断結果はパソコン画面で示され先生の説明がある。
しかし、ビタミン剤とステロイド錠を5か月ほど服用したが全く改善しなかった。

先生曰く、「これ以上続けてもおそらく改善されないだろう。治る人もあるだろうが、治った人は報告に来ることがないのでデータもない。」
そんなことで昨年7月以降は治療を断念していた。何でも発症してから2週間が勝負なのだという。
片方の耳は正常なので不都合はあまり感じないのだが、車の助手席の人が話す言葉が聞き取りにくい。

今月上旬、医科大付属病院の高齢医学科に予防のための定期健診を受けたところ、担当医から「突発性難聴は認知症の原因になりやすいですよ」と指導があったので、予約を取り今日、医科大付属病院の耳鼻科で約1年ぶりに受診したのである。
先ずここも聴力検査から始まった。町医者の測定器具とは全然違っていて、測定方法も違った。
随分待たされて診察室に入った。耳の中を診察する器具を耳に当てると、モニター画面にクローズアップされた耳穴が映しだされた。何と汚い耳!耳あかが詰まっていたのだ。両方とも先生が丁寧に取り除いてくれた。3人ほど学生が検査方法を見学していた。やはり医科大である。

そして説明が始まった。
「鼓膜は異常ありません。内耳も異常が無いと思われますが、中耳の骨と骨が接する部分が劣化しているかも知れません。よって、次回はCTの検査をしましょう。手術で改善する場合もあるが、このケースではその必要性はないでしょう。」と診断された。
〇に囲んだ部分の骨に異常があるのかも

何とか少しでも改善できればと祈るばかりだが・・・・。


2017年5月21日日曜日

兼六園球場に相撲大会があった時代

私が高校在学中の高校相撲金沢大会は兼六園球場でにわか造りの相撲場で開催された。
応援席は相撲場を中心に各校が放射状に配置されていた。

3年生になったばかりの放課後、担任から職員室に来るよう呼び出された。何も悪いことはしていないが・・・と思いながら職員室に入った。
「君は部活をやっていないからクラスを代表して応援リーダーをやれ」と命令が下ったのである。
学期始めは放課後に応援の練習が開始される。校歌や応援歌数曲の旗の振り方や応援モーションの特訓を受け、全生徒の前に立ち応援の指導をすることになる。特に新入生に早く覚えてもらわなくてはならないので、指導もつい荒々しくなってしまうのである。
そして最初の応援は北信越野球大会、そのあとに相撲大会と続くのである。

金沢学園東高校の応援練習風景
さて、今日、卯辰山で高校相撲金沢大会が開催されている。101回という伝統を誇る大会は、大正4年に第1回が金石海浜で開催された。
金石海浜の大会
写真を見ると、もの凄い観客の数、スタンドは天然の砂丘に違いないだろう。
昭和19,20年は戦争のため休止している。昭和26年まで金石で開催されたが、翌年から平和町の平和台相撲場に移った。3年後の昭和31年から兼六園球場特設相撲場に変わった。
私は33年から35年の在校だから当然兼六園球場であった。
昭和31年、兼六園球場で初回が開催された時の模様
最近の卯辰山相撲場での応援風景
泉丘高校とのエール交換
それに答える泉丘高校の応援リーダー
昭和36年、現在の卯辰山相撲場が完成して現在に至っている。
うちの孫も母校の応援に初めて出かけて行った。娘もうん十年前に車で会場に送ったことを思い出した。
今日1日、卯辰山に大歓声が響き渡ることだろう。

2017年5月20日土曜日

人生下り坂最高!

人生下り坂最高!このフレーズは火野正平が自転車で、長い登坂を登り切って下り坂を風を切って走行しているときに発する言葉である。
御年66歳の火野正平が息を切らせてハアハア言いながら登板するのだが、頂上で一服してから一気に下るその時にこの言葉が自然に出るのだ。

2,011年から日本列島を縦断すること3回目となるNHKの人気番組「にっぽん列島縦断こころ旅」である。
火野正平を先頭に監督、カメラマン、自転車の保守要員等の5人が一列になって全国を走り回っている。
この番組の魅力は先ず火野正平の人間性であろう。自転車に乗っている時の何気ないつぶやきや鼻歌に深い味が染みている。
草花を手に取り、これは〇〇という花だとかとにかく植物に関する知識は半端ではなく、虫を掌に載せて遊ばせている様は心から楽しんでいるようで、よっぽど子供時代に「悪ガキ」だったのかと思わせる。

火野の自転車にもカメラが付けられているのだが、カメラは人が歩く目線の風景が写り、臨場感たっぷりである。どのカメラも高性能である。画像が鮮明でとてもきれいだ。
いつも必ず食堂で食事するシーンがあるのだが、これもまるで画像に味があるようで面白い。
今までの放送シーン 獅子吼高原で

見附島 この島が誰かの顔に見えるんだって
自転車の荷台には人形と一緒に花が咲いた枝きれなどが括り付けられている。面白い性分なんだろう。
だが、経歴を見ると「女遍歴」がただ者ではなさそうだ。著名な女性が5人ほどもいたという。
最初の奥様とは離婚はしておらず(こわくて離婚の手続きができないという)、数々の女性と同棲をして現在の奥様と何十年も同棲しているとのことである。

そんなことはどうでもいいことであって、火野の人柄を存分発揮して番組を盛り上げて欲しいと願っている。
今月29日から石川県を走破することになっている。私の心の風景「能登町田ノ浦海岸で見た水平線上に浮かぶ立山連峰」はどういう取り扱いになったのか気にかかるところである。

2017年5月19日金曜日

驚きもものきの黄砂

花曇りと呼ばれる黄砂だが、最近では猛毒とされるPM2.5という化学物質といっしょに飛んで来る厄介者だ。
発生源は中国。工業化が著しくなってきた近年にPM2.5云々と騒がれ始めた。


この赤色部分が汚染粒子の塊りだが、偏西風に乗って日本に降り注ぐ。

金沢市内も相当黄砂で視界不良である。

黄砂の本場、発生源の中国に旅行して驚いた。
我々が西安に行った時は4月下旬の黄砂最盛期だったが、幸いにして黄砂はなかったのだが、
車のナンバープレートを見て驚いた。厚さが1cm以上の粘着性のある黄砂がナンバープレートに張り付いているではないか。そして数字部分が指でなぞって彫ってあるのだ。

写真は黄砂の西安市内であるが、粘着性があるのは工場で使用する大量の石炭に起因するものである。その石炭も安価なものを使用するので環境対策はまだまだ先の話になる。

当面、わが国は我慢を強いられることであろう。

2017年5月18日木曜日

屋根からしか見えない花

この時季になると雑木林に白い花を付ける樹木がある。
花の名はヤマボウシという。

平成9年に新築入居した家の周りは、まだ樹木1本もなかったのだが、田中町のある造園屋さんが郵便ポストにチラシを入れた。そのチラシを見て造園を依頼することにした。
レッドロビンを垣根として、ノムラモミジの門被り、延段という石の通路、石灯籠や手水鉢を含む坪庭、このほかヤマボウシを5本ほど家の軒先に沿って植え付けた。
このヤマボウシの花が満開となっている。
ところが、この花は木の横から、あるいは下からは見えないのである。
花は白くてまるで蝶々が葉にとまっているように見える。
屋根に登って撮影

花びらの端が淡いピンク色
アップするとこんな形
屋根の上から全体を撮った
この花を見ると現職時代に業務で浅ノ川上流に行った際、白い花をつけるヤマボウシがあった。
そんな光景を思い浮かべながら我が家のヤマボウシを愛でている。

2017年5月17日水曜日

同窓会の幹事

先日、片山津温泉で同窓会が開催された。
我等が同窓会は2年ごとに開催されている。当番幹事はその都度大変な目に遭うことになる。
60を回った頃、あるグループ2,3人が飲み屋で一杯やっている時に「学年の同窓会ちゅうもんは全然やっていないが、いっぺんやってみたらどーや」となったらしい。(聞いた話)

そんな経緯があって、今から14,5年ほど前になるが、各科の幹事に話が回ってきて幹事会を開くことになった。
機械・電気・建築・土木・家庭の各科からそれぞれ2,3名の幹事が出席して第1回の幹事会を開いた。第1回の代表幹事は発起人である機械科が担当することになった。
その幹事会が終わった後、「どーや、カラオケに行かんか」となってカラオケ屋で盛り上がったのである。
それまで顔は知っているが話はしたことがなかった者同士が、一気に気心が理解できる同志となった。

私は55まで県外の職場に勤務していた関係で同窓会の幹事とは無縁であった。それまでは数名の県庁マンの連中にお任せしていたのだが、55を回って開催したクラス会で「あんたは長いこと県外にいた関係で同窓会の幹事は無理だったが、これからはいいだろう」という話から「それなら恩返しの意味もあるので引き受けよう」となって現在に至っている。

学年同窓会は各科幹事の持ち回り方式で実施することにして最初の頃は3,4年ごとに開催していたのだが、70を過ぎたころアンケート調査を実施し、開催の必要性や開催頻度について意向を調べた。結果は多様な意見があったが、2年毎、開催場所は金沢市内よりも加賀温泉という意見に集約された。中には毎年やれという意見もあった。

そして今年3月の幹事会で新たな提案があった。今年5月のあとは2年後の同窓会で最終回としたいと提案があった。2年後は77の喜寿を迎える。
開催案内の往復はがきでは、息子さんから「父は去年亡くなりました」と連絡があったりする。
幹事の主要業務は名簿の整備から始まる。2年前の住所録から移動がないか確認することから始まる。が、この歳になると「あの人が亡くなった」という話が舞い込むようになる。
本同窓会の発起人である機械科の2名が10年前に亡くなった。冥福を祈るのみである。

卒業生が300名弱なのだが、「私の名前を名簿から削除してほしい」とか、「今後一切案内は不要」という返信はがきがあったりする。よっぽど人生に不満をもっているんだろうかと邪推したくなるのであるが・・・・。
私のクラスは年に2,3回クラス会をやっている関係で、「全体の同窓会はつまらない」と言って参加しないものがかなりある。ところが、家庭科などは学年同窓会しかやっていないので、次回で終わりとするのは抵抗感があるだろう。
今月末に幹事が集合し反省会と次回の同窓会について意見交換が行われる。
どういう方向づけとなるか注目なのである。

それにしても毎回、関東や関西、札幌、博多といった遠方から参加してくれる会員には頭が下がる。会費をはるかに上回る交通費をものともせず参加する心意気に敬服するばかりである。やはり高校生活を共にした仲間と交歓したい、そんな気持ちが強い人達なのだろう。

盛会を記念し「一本締め」

2017年5月15日月曜日

札幌・東京・博多からも駆けつけた

昨日から本日にかけて片山津温泉で同窓会が開催された。
各科幹事10名余が14時までにホテルに集合し受付等の準備を行った。
6年前、山代で同会を開催後、出席者の意向について調査することにしてアンケートを書いてもらった。
意見は色々出たが、2年おきに開催する意見が多かったので、既に2回開催した。

各科持ち回りの幹事も2巡したのと、高齢化のため今回と「あと1回」で同窓会を取りやめようということに決定したのである。次回の開催で全員が喜寿を迎える。ちょっと淋しい気もするが「ま、しょうがないなぁ」といったところか。

受付状況
 今回から集合写真はプロに依頼することにした。個人で撮影しても後の世話が大変だということで変更した。
17時30分、宴会場に集合し写真撮影となった。シャッターが切られるまで、かなり長い時間を要した。

年齢からして、皆それぞれ「年いったなぁ」である。1日も長く健康寿命を延ばしたいもの。
撮影が終了し、総会に入った。
土山代表幹事のあいさつ、石田忠夫氏(県議)の乾杯と続いた。
土山代表幹事のあいさつ
カンパーイ
そして久しぶりの交歓会が繰り広げられた。

宴なかばとなり、物故者に対する黙とうが執り行われ、続いて校歌斉唱となった。
校歌を歌うと在校生の気分に浸れるのである。あの頃が懐かしーい。
黙とう
元ブラスバンド部別所寛氏による指揮とハーモニカ伴奏の校歌斉唱
今回から「もったいない」の精神を取り入れ、お開き20分前には自分の席に戻り食べ残しをなくする運動を取り入れた。
宴会後は席を1階のバーに移し、二次会を開催した。
二次会も賑やか
トップバッターは「高校三年生」を熱唱した。
歌う人、踊る人、目いっぱい楽しんだ
大ホールで収容人員も大きく、音響システムも万全の会場であった。
ここを出て各部屋に分散して三次会となった。
三次会の模様
この三次会こそ、最も中身の濃い話で心が弾むのである。
12時を回る頃三次会も静かに幕が下りた。

翌朝、朝食後解散となった。

朝食模様
ある女性グループでは、泉野旧校舎跡地を訪れるという。
私も一度跡地に行ってみたのだが、皆目見当がつかなかった。
また、東京から参加したある人は高岡を経由して五箇山地方を見学するという。
またまた、ある人は高槻から奥さんと車で来て、奥さんは大聖寺で泊まって今日は金沢で墓参の予定とか。
札幌、東京、大阪、博多方面から参加された皆さん、遠路ご苦労様でした。気を付けてお帰り下さい。
2年後の再会を心待ちにしています。