如何なる建設工事も地元住民とのトラブルは避けがたい。その理由は、マンション等の高層ビル建設では日照権阻害、変わったケースでは信仰する山が見えなくなる「眺望権」が侵害される、新幹線建設では鉄道で地域が分断されたり騒音振動被害を蒙るから絶対反対、用地買収、建物移転補償等々、例をあげるには限がない。
地元住民が鉄道開通を熱望した能登線建設でも例外ではない。
現場事務所に着任した当時、鉄道用地買収価格の不満と、自由に行き来できた田畑の道が遠回りとなった恨みが1人の住民に残っていた。
工事を担当した職員が現場近くにいるのを見つけると、怒声を浴びせながら鍬を振り上げ追い掛け回すのである。当人に誰が話しようが怒りは収まることがなかった。
そんな状況では今後の業務執行に支障があるので、本部用地担当課に善処するよう依頼した。
そしてその道のプロが派遣された。
50代のいがぐり頭のお寺の住職のような風貌の持ち主であった。岐阜工事局中部地方管内13県下のこうした難題を次々と解決した実績の持ち主でもあった。
その交渉人は工事区長から実情を聞き、すぐ住民に会いに行った。その後30分も経ったか立たないうちに帰ってきた。
交渉不調と誰もが思ったが、「話は全て終わった」と。
半信半疑ではあったが、その後その住民から鍬を振り上げられることはなかった。
物事の交渉には風貌も大切なのかなと思ったが、相手から一瞬にこの人なら心から信頼できると信じさせるノウハウが備わっているに違いない。
人生70年にしてその交渉術師の足元にも及ばない自分がここにある。
2013年3月8日金曜日
2013年3月6日水曜日
能登の景勝地をディゼル機関車で運転走行
レールが松波に届いたころ、宇出津から松波間の開業に備えて軌道整備が進んだ。
軌道整備とは諸規定を満たし、列車走行に全く支障がない状態に仕上げることをいう。
直線は定規を当てたように、曲線はコンパスで円を描くように仕上げる。この作業は3人の作業員2組がバールを左右のレール直下の道床バラストに深く差し込み、30m離れた位置に親方が立ち、作業員に「もうちょい右!」「ちょい左!」と号令し、それに呼応して作業員が声を揃えて「ヨイサッ」とバールを力を込めて軌道を左右に微調整する。
ここがこの道40年のベテラン親方の「技」の見せ所である。
監督業務で現場に行ったある日、そんな職人芸に見とれていたら、親方の足が妙にふらついているのがわかった。何と朝から飲酒して酔っぱらいながらの仕事であった。
それでも軌道は見事に整形された。
整備された区間が長くなり、ディゼル機関車の走行も営業線を走行するのと同様に快適になった。
休日のある日、測量作業で辛い思いをした景勝地田ノ浦海岸をこの機関車を運転して走ってみたいという衝動にかられた。すぐ実行に移すべく誰に相談することもなく、第2宇出津トンネル内を車庫代わりにして留置してあった機関車に乗り込みエンジンを始動させた。運転席は進行方向ではなく、前進後進運転が可能にするため進行方向に対して直角に設けられていた。
運転方法は幾度となく同乗していた際に聞いて見て覚えていた。ノッチを低速に回し走行を開始した。エアブレーキの取り扱いもすぐ要領を得た。仮設踏切にさしかかる時には警笛を鳴らした。
そして田ノ浦海岸に出た。高い運転席から広がるパノラマ眺望を満喫しながらの運転は、なんと心地良かったことか。生涯忘れることのない往復10kmのディゼル機関車運転の体験であった。
だが、何事もなく無事帰着したといえども無資格無免許の暴挙であることは論を待たない。
若気の至りのなせる業であった。
軌道整備とは諸規定を満たし、列車走行に全く支障がない状態に仕上げることをいう。
直線は定規を当てたように、曲線はコンパスで円を描くように仕上げる。この作業は3人の作業員2組がバールを左右のレール直下の道床バラストに深く差し込み、30m離れた位置に親方が立ち、作業員に「もうちょい右!」「ちょい左!」と号令し、それに呼応して作業員が声を揃えて「ヨイサッ」とバールを力を込めて軌道を左右に微調整する。
ここがこの道40年のベテラン親方の「技」の見せ所である。
監督業務で現場に行ったある日、そんな職人芸に見とれていたら、親方の足が妙にふらついているのがわかった。何と朝から飲酒して酔っぱらいながらの仕事であった。
それでも軌道は見事に整形された。
| 私のお気に入りの風景・田ノ浦海岸付近 |
| 真脇付近・小木T入り口上部から撮影 |
| ディゼル機関車と専任運転士のゲンちゃん |
運転方法は幾度となく同乗していた際に聞いて見て覚えていた。ノッチを低速に回し走行を開始した。エアブレーキの取り扱いもすぐ要領を得た。仮設踏切にさしかかる時には警笛を鳴らした。
そして田ノ浦海岸に出た。高い運転席から広がるパノラマ眺望を満喫しながらの運転は、なんと心地良かったことか。生涯忘れることのない往復10kmのディゼル機関車運転の体験であった。
だが、何事もなく無事帰着したといえども無資格無免許の暴挙であることは論を待たない。
若気の至りのなせる業であった。
2013年3月5日火曜日
S37晩秋、レールは松波に届いた
昭和36年初冬から着工された軌道敷設工事は順調に進捗して、1年後の昭和37年初冬には宇出津から14kmの松波に到達した。
これまでの工事状況写真に、ご婦人の作業姿が多いのに気付かれただろうか。
貨車からのバラスト取りおろし、レール固定のイヌクギ打ち、道床バラストの整形等の作業には、男性より多人数の女性作業員が写されている。その理由は、地元に労働力となる男性が極めて少なかったからだ。遠洋漁業の漁師の方がよっぽど稼ぎがいいからに他ならない。能登内浦沿岸の旦那衆は漁師、女房はおしなべて働き者で土方作業をいとわなかった。なおかつ、映画女優にしても通用するくらいの美人揃いなのである。姫という地域があるが、現在でもここにはハッとする美人が実に多いところだ。まれに夫婦で軌道工事の作業員をしているケースがあったが、どうしてあんな美人を奥さんにできたのか不思議に思う組み合わせであった。やっかみかも知れないが幸せな旦那だなぁ・・・・と。
軌道工事の親方の一人が、留守居の女房と「いい仲」になっているという話も聞かれた。
ともあれ、能登線は能登の母ちゃん達が作ったといっても過言ではない。
![]() |
| 松波駅付近位置図 |
| 能登線は松波城址公園を開削したルートとなった ルート選定にあたり文化財保護よりも鉄道開通が熱望された |
| 軌道工事は「能登の母ちゃん」の労働力に支えられた |
貨車からのバラスト取りおろし、レール固定のイヌクギ打ち、道床バラストの整形等の作業には、男性より多人数の女性作業員が写されている。その理由は、地元に労働力となる男性が極めて少なかったからだ。遠洋漁業の漁師の方がよっぽど稼ぎがいいからに他ならない。能登内浦沿岸の旦那衆は漁師、女房はおしなべて働き者で土方作業をいとわなかった。なおかつ、映画女優にしても通用するくらいの美人揃いなのである。姫という地域があるが、現在でもここにはハッとする美人が実に多いところだ。まれに夫婦で軌道工事の作業員をしているケースがあったが、どうしてあんな美人を奥さんにできたのか不思議に思う組み合わせであった。やっかみかも知れないが幸せな旦那だなぁ・・・・と。
軌道工事の親方の一人が、留守居の女房と「いい仲」になっているという話も聞かれた。
ともあれ、能登線は能登の母ちゃん達が作ったといっても過言ではない。
2013年3月4日月曜日
新聞報道されなかった衝突事故発生!
軌道工事に使用された動車は、宇出津駅にトム車と呼ばれる貨車に積載された道床バラストを3両連結して土工線に運搬するためディゼル機関車(二軸動輪式)1台と、レール、マクラギ、軌道付属品類を運搬する軌道モーターカーが2台使用された。作業にあたっては上司が前日に3台の動車運行ダイヤを作成して請負者、運転士に提示して作業内容の確認を徹底した。
にもかかわらず衝突事故が発生した。
衝突事故発生との連絡を受け現場に駆け付けた。直ちに関係者を呼びヒヤリングを行った。
状況1.ディゼル機関車が貨車3両を推進運転して所定の場所に停止してバラストを取りおろし作業中であった。
状況2.軌道モーターカーが請負者の世話役を一人同乗させ、蛸島方からトンネル内を走行中、バラスト取りおろし作業を現認し急ブレーキを掛けたが停止叶わず衝突した。
状況3.本衝突事故により4名が負傷した。運転士が顔面を負傷、同乗していた世話役がフロントガラスに顔をぶつけ負傷、バラスト取りおろし作業中の女性二人が衝撃で宙に舞い貨車から盛土法面に落下して負傷した。
状況4.軌道モーターカーは、エンジン部分が貨車連結器との衝撃によりフレームから脱落して大破した。
原因:軌道モーターカーを運転していた60代の機関士OBがトンネル内直線区間を高速運転し、出口付近でカーブしているため見通し距離が短く、出口付近で作業中の貨車を現認するも制動距離が足りなかった。
この二枚の写真は半世紀にわたり私以外の誰の目にも触れることはなかった。今、初公開するものである。
にもかかわらず衝突事故が発生した。
| 事故調査状況・小浦地内 |
状況1.ディゼル機関車が貨車3両を推進運転して所定の場所に停止してバラストを取りおろし作業中であった。
状況2.軌道モーターカーが請負者の世話役を一人同乗させ、蛸島方からトンネル内を走行中、バラスト取りおろし作業を現認し急ブレーキを掛けたが停止叶わず衝突した。
状況3.本衝突事故により4名が負傷した。運転士が顔面を負傷、同乗していた世話役がフロントガラスに顔をぶつけ負傷、バラスト取りおろし作業中の女性二人が衝撃で宙に舞い貨車から盛土法面に落下して負傷した。
状況4.軌道モーターカーは、エンジン部分が貨車連結器との衝撃によりフレームから脱落して大破した。
原因:軌道モーターカーを運転していた60代の機関士OBがトンネル内直線区間を高速運転し、出口付近でカーブしているため見通し距離が短く、出口付近で作業中の貨車を現認するも制動距離が足りなかった。
| 修繕不能により廃棄処分となった |
2013年3月3日日曜日
西茶屋街で脅えた19歳の未成年者
保線用の機材にタイタンパーという機械がある。それは軌道道床を搗き固める作業に使用するものである。コンクリートを壊す場合にピックハンマーという用具があるが、その先端部分がしゃもじのような形をしていて、先端が振動することにより道床バラストを締め固める。
この機械が故障したので、金沢の金徳産業という所に行って修理を頼めと指示があった。
そもそもそんな機械は工事区に備え付けられているものではなく、請負業者の備品である。なぜ発注者が修理に行かなければならないのか今でもって理解ができない。が、上司の指示なので、宇出津からジープに積み込んで金沢に向かった。ジープの運転手は私より8歳年上で自衛隊を退職して運転手として雇用された27歳の人であった。
穴水、七尾を経由して羽咋から千里浜海岸を走ることにした。ここは道路ではないので運転させてと頼んでハンドルを握った。今とは違って行き交う車はまばら。凸凹道とは打って変わって舗装道路のように快適に走行できた。
金沢に到着して修理会社で機械を卸して翌日に持ち帰ることになり、当時殿町にあった職員宿泊所で1泊することになった。
夜のとばりが降りる頃、運転手がいいところに連れて行ってやるというのでその人について行った。着いたところが西茶屋街であった。なまめかしい雰囲気が漂い、どの茶屋の前にもお姉さんたちがずらりと並んで通りがかる人に「ねぇ、あがんまっし」と客引きしていた。未成年の自分としては、怖いところというイメージが強かった。お姉さんの一人が突然私の腕をつかんで「中に入ろう」と強く引っ張り込もうとした。あまりの恐怖心でその手を力を込めて振り切った。自動車運転手は親しげにお姉さんたちと談笑しているではないか。脅えた声でこんなところはいやだから帰ろうと云ったところ、不承々々帰ることに同意してくれた。
そこには今の自分には考えられない「うぶな自分の姿」があった。
わが青春時代のほろ苦い思い出である。
この機械が故障したので、金沢の金徳産業という所に行って修理を頼めと指示があった。
そもそもそんな機械は工事区に備え付けられているものではなく、請負業者の備品である。なぜ発注者が修理に行かなければならないのか今でもって理解ができない。が、上司の指示なので、宇出津からジープに積み込んで金沢に向かった。ジープの運転手は私より8歳年上で自衛隊を退職して運転手として雇用された27歳の人であった。
穴水、七尾を経由して羽咋から千里浜海岸を走ることにした。ここは道路ではないので運転させてと頼んでハンドルを握った。今とは違って行き交う車はまばら。凸凹道とは打って変わって舗装道路のように快適に走行できた。
金沢に到着して修理会社で機械を卸して翌日に持ち帰ることになり、当時殿町にあった職員宿泊所で1泊することになった。
夜のとばりが降りる頃、運転手がいいところに連れて行ってやるというのでその人について行った。着いたところが西茶屋街であった。なまめかしい雰囲気が漂い、どの茶屋の前にもお姉さんたちがずらりと並んで通りがかる人に「ねぇ、あがんまっし」と客引きしていた。未成年の自分としては、怖いところというイメージが強かった。お姉さんの一人が突然私の腕をつかんで「中に入ろう」と強く引っ張り込もうとした。あまりの恐怖心でその手を力を込めて振り切った。自動車運転手は親しげにお姉さんたちと談笑しているではないか。脅えた声でこんなところはいやだから帰ろうと云ったところ、不承々々帰ることに同意してくれた。
そこには今の自分には考えられない「うぶな自分の姿」があった。
わが青春時代のほろ苦い思い出である。
2013年3月2日土曜日
「yesかnoか」人材引き抜き転職勧誘の体験より
昭和37年秋には軌道工事が順調に進捗し、能登川尻付近の施工となった。
当該区間の道床バラスト整備に先立ち、軌道水準測量(レールレベル基準高)を行うことになり、20mごとに杭を打ち込み軌道に面した部分に基準高を示す釘を打ち込む作業を開始した。
線路の高さは線路縦断面図に記されている20mごとの施工基面高に道床厚15cm、マクラギ高14cm、それに30kgレール高さ10.7cmの合計した高さ40cmが軌道の基準高となる。
現場に杭打ちして基準点を測量したところ、設計図面が違っているのではと思うほど施工基面から60cm以上もある結果となった。その延長は約80mに及ぶことがわかった。
原因は地盤沈下。この一帯は軟弱地盤で、2年前に高さ5mの盛土を施工した。その際にどんどん盛土が沈下していき、10m離れた田面が隆起した区域であることが分かった。
この対応策を検討した結果、沈下した路盤をSLで使用した石炭の燃えカスである炭殻(アース殻ともいう)を用いて正規の高さに復旧することになり、その施工業者を宇出津の地元業者から選定することになった。業者が決まりその業者と何回か打ち合わせを重ねたある日、50代の社長が突然、「あんたは給料いくらもらっている」と質問された。ありのままを云ったところ、その倍の給料を弾むから当社へ是非来てくれないか」と。
ちょっと心が動いたが丁重にお断りした。これが第1回目の転職勧誘。
2回目は翌年岐阜に転勤して間もない時期。昭和39年4月に鉄道建設公団発足が予定されていたので、その要員として執拗に勧誘された。勧誘条件は基本給の3号俸アップ、それに名古屋の都市手当相当額を基本給に加算という好条件が示された。が、絶対行きませんと意思表示し続けて難を逃れた。3回目はその10年後、広島で山陽新幹線建設工事に従事していた際に大手ゼネコンからかなりしつこく勧誘があった。
3回ともnoと答えた。だが、果たして、勧誘を拒んだのが正解だったのかどうかは計りようがない。
当該区間の道床バラスト整備に先立ち、軌道水準測量(レールレベル基準高)を行うことになり、20mごとに杭を打ち込み軌道に面した部分に基準高を示す釘を打ち込む作業を開始した。
線路の高さは線路縦断面図に記されている20mごとの施工基面高に道床厚15cm、マクラギ高14cm、それに30kgレール高さ10.7cmの合計した高さ40cmが軌道の基準高となる。
現場に杭打ちして基準点を測量したところ、設計図面が違っているのではと思うほど施工基面から60cm以上もある結果となった。その延長は約80mに及ぶことがわかった。
原因は地盤沈下。この一帯は軟弱地盤で、2年前に高さ5mの盛土を施工した。その際にどんどん盛土が沈下していき、10m離れた田面が隆起した区域であることが分かった。
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| 位置図 ⑮~⑯能登川尻駅付近 |
| 現場写真 H16.5.15撮影 |
ちょっと心が動いたが丁重にお断りした。これが第1回目の転職勧誘。
2回目は翌年岐阜に転勤して間もない時期。昭和39年4月に鉄道建設公団発足が予定されていたので、その要員として執拗に勧誘された。勧誘条件は基本給の3号俸アップ、それに名古屋の都市手当相当額を基本給に加算という好条件が示された。が、絶対行きませんと意思表示し続けて難を逃れた。3回目はその10年後、広島で山陽新幹線建設工事に従事していた際に大手ゼネコンからかなりしつこく勧誘があった。
3回ともnoと答えた。だが、果たして、勧誘を拒んだのが正解だったのかどうかは計りようがない。
2013年3月1日金曜日
エエッ、給料日が月2回?
昭和37年も夏を迎えた。軌道工事が着工されて暫くの間は市ノ瀬から宇出津まで毎日国鉄バスで通勤した。車窓からは遠洋漁業から帰港した漁師たちが、2回目の出漁に備える網づくろいに忙殺されている様子が見られた。小木港を出港すると北海道根室を拠点としたサケマス漁であるが、200海里すれすれの漁場のため、ソ連に拿捕される小木港所属の漁船が相次いだ。だが、一航海の水揚げ利益は半端ではなかった。中学を卒業して漁師となった人たちの一航海の報酬は50万円の高額であった。年間100万円の高収入となる。若い漁師たちが競って家を新築した。
一方、私の初任給といえば1万円ジャスト。年収はせいぜい20万円弱であった。この格差がどれほどなのか身に浸みて感じたことがあった。
小木町にしろ、宇出津、飯田とも漁師の収入を当て込んだバーやキャバレーが所狭しと林立していたのだ。ある日、先輩たちに連れられてキャバレーに行った。楽団生演奏付の田舎とは思えない豪奢な内装のキャバレーにホステスが10人以上接客していた。ところがである。かなりの時間が経過してもホステスが誰一人として来ない。キャーキャー騒いでいる所を観察すると、二十歳前後の若いアンちゃんが札びらをかざしてそのうちばらまき始めたではないか。これでは我々の所に来るホステスがあるわけがない。とても太刀打ちできないので早々に退散して寿司屋で苦々しい酒を飲んだ。出漁では、そうしたホステスの集団がしばし別れのテープを片手に、「早く帰ってきてねー」と船影が霞むまで黄色い声は途絶えることがなかった。叶わぬ想いではあるが、そうした光景をもう一度見てみたい。
当時の国鉄職員の給料日は毎月8日と25日の2回支給された。
8日の給料は基本給の4割、25日の給料は残りの6割と超勤手当、旅費等の諸手当、それから所得税等が控除された。寮の食費も後期給料から控除された。エンゲル係数が大きく、収入に対する食費の支出は5割に達していた。
6月と12月に300円づつ年2回昇給した。臨時雇用員の自動車運転手の給料がはるかに高かったのでうらやましく思ったものである。
一方、私の初任給といえば1万円ジャスト。年収はせいぜい20万円弱であった。この格差がどれほどなのか身に浸みて感じたことがあった。
小木町にしろ、宇出津、飯田とも漁師の収入を当て込んだバーやキャバレーが所狭しと林立していたのだ。ある日、先輩たちに連れられてキャバレーに行った。楽団生演奏付の田舎とは思えない豪奢な内装のキャバレーにホステスが10人以上接客していた。ところがである。かなりの時間が経過してもホステスが誰一人として来ない。キャーキャー騒いでいる所を観察すると、二十歳前後の若いアンちゃんが札びらをかざしてそのうちばらまき始めたではないか。これでは我々の所に来るホステスがあるわけがない。とても太刀打ちできないので早々に退散して寿司屋で苦々しい酒を飲んだ。出漁では、そうしたホステスの集団がしばし別れのテープを片手に、「早く帰ってきてねー」と船影が霞むまで黄色い声は途絶えることがなかった。叶わぬ想いではあるが、そうした光景をもう一度見てみたい。
当時の国鉄職員の給料日は毎月8日と25日の2回支給された。
8日の給料は基本給の4割、25日の給料は残りの6割と超勤手当、旅費等の諸手当、それから所得税等が控除された。寮の食費も後期給料から控除された。エンゲル係数が大きく、収入に対する食費の支出は5割に達していた。
6月と12月に300円づつ年2回昇給した。臨時雇用員の自動車運転手の給料がはるかに高かったのでうらやましく思ったものである。
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