時は今から遡ること54年前の昭和38年5月。
蒸気機関車C58が能登町田ノ浦海岸付近を走行する写真である。機関車先頭部にしがみついている4人の姿が写されている。左右に制帽の職員、その間に二人のハンチングを冠った姿がある。ナンバープレート前面の白い帽子を冠っている人間は何と二十歳になった頃の私の姿である。
制帽の二人は金沢鉄道管理局所属の職員で、ハンチング帽の二人は岐阜工事局小木工事区の建設関係職員。機関車が現場内を安全に走行できるように誘導するのが任務である。
前年、宇出津駅から松波に向かって軌道敷設工事が着手され、能登小木駅付近までの約10kmの軌道工事が進捗して完成したことから、「踏み固め試運転」を実施したときの写真である。
時ならぬ蒸気の排気音と汽笛に驚いた地元の住民が、一斉に外に飛び出て嬉しそうな笑顔を浮かべて手を振った。この時ほど郷土のために貢献したという気持ちが強く湧いたことはない。
この時代、トンネル工事を除いて一般的な工事関係者はヘルメットを冠らなかった。建設業者の作業員でもねじり鉢巻きか麦わら帽の時代だった。全職員のヘルメット着用が義務付けされるには後2年を要した。
七尾線の旅客列車や貨物列車の牽引はC11が使用された。
C11型蒸気機関車 |
C58とC11の違いは牽引力に格段の差がある。C58はテンダー車という石炭と水を搭載した車両を連結してセットになっているが、C11はタンク型と称し、機関車と一体化したタンクに石炭と水を積んでいた。
踏み固め試運転には重量のあるC58以上とすることが義務付けられていた。
踏み固め試運転の実施要領は時速5km、10km、15kmで3回走行することが定められているので、10kmを3往復して試運転が終了した。
今はもう能登線は既になく、七尾線には電車やディゼル車が軽やかに走行している。時代の変遷に往時の記憶が薄れゆくのが歯がゆい。
最近になってC58の復活に取り組む動きが出てきたのが嬉しく思う。
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