2017年1月4日水曜日

海賊と呼ばれた男

出光興産と昭和シェルの合併問題がこじれている。出光の創家側が反対しているためである。
出光興産の創業者出光佐三の経営方針は「大家族主義」。定年制なし、出勤簿なし、労働組合なしで経営を貫いた。
一方の昭和シェルは外資系石油メジャー企業である。合理的経営を旨とする企業とは、交わることがない水と油の関係なのだ。

戦前、海外の支店で勤務していた出光商店の社員が終戦で続々帰還し、1,000人を超える社員を受け入れたが、仕事は当然皆無。だが、解雇は一切しなかった。
終戦直後、出光佐三は社員を前に「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。
神戸大学の前身である神戸高商卒。卒論は、石炭と石油の将来性について取り上げ、石油の優位性に軍配をあげる論文を書き上げた先見の明を持った男である。

なぜ海賊と呼ばれたのか。
石油の販売は特約店の縄張りの掟が厳しく、新参者の企業が入る余地は全くなかった時代である。では、どうしたか。
「陸の縄張りは海には関係ない」という誰も考えが及ばない論法で、船に灯油を積み込み、直接漁船に給油して回った。これが「海賊と呼ばれた男」の所以である。
映画のシーン 灯油を積んで売り捌く
ラジオの修理、旧海軍の石油タンクの油かす採取 などで当場を凌ぎ、進駐軍の通訳を介して石油メジャーの割り当て枠を確保し石油販売を続けた。
昭和28年、出光興産所有のタンカー日章丸が神戸港から船長ほか数人のみが目的地を知る極秘裏の船旅に出た。前年、イギリス国営企業をイランが国有化を宣言。怒ったイギリスは軍艦を派遣し石油を積んだ船を拿捕していた。
そんな環境の中、日章丸はサウジアラビアで船長が数十人の乗組員全員を集め、「本船はイランに向かう」と宣言したところ、全員が「万歳」と叫んだという。生命の危険を顧みずにである。
帰りの航路はイギリスの軍艦の目をくらますため、インドネシアの南方を迂回するルートを辿った。
日章丸の帰還ルート
川崎港には世界各国の報道機関が詰めかけたという。世界の主要紙1面にトップニュースとして大々的に報道された。当然イギリスは石油の所有権を主張し裁判となった。裁判長はイギリスの主張を無効であると判決。直ちに控訴したが、世論に押され2日後に控訴を取り下げた。
いわゆる「日章丸事件」と称される。
この事件により「海賊と呼ばれた男」の名声がひときわ高まった。

昨年、ある人(今はもう故人となられた)からこの本は面白いから読んでみたらと勧められた。
百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」である。現在400万部を超えるベストセラーとなっている。
先月中旬、イオンの映画館へ。映画化した「海賊と呼ばれた男」である。
岡田准一主演、中々好演であった。
血沸き肉躍る日本男児出光佐三の物語である。ご鑑賞をお勧めします。

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