2013年5月25日土曜日

青春時代の真ん中(その2)

着任して間もないころ、岐阜祭りがあった。当時はおおらかな時代で、祭りの日は午後から勤務解放された。だが祭りを見に行く者は一人もいない。混まないうちにと雀荘へ走ったのである。
職場は日中各現場からの電話で喧噪の中で明け暮れた。
土木課には50名の職員で8つの係があり、係に2台の電話があった。あちこちの電話中の声でしばし会話が支障するくらい騒々しい職場環境であった。現代のようにメールができたなら静粛な職場風景だったに違いない。
庁舎内に食堂があった。だが、せいぜい50人ほどしか入れなかったので時間差で食事してもいいことになっていた。それを口実に11時30分になると食堂に急いだ。12時には食事が終わるので駅前周辺の喫茶店に行った。実質的な休憩時間は1時間半なのである。
三時の室内体操が終わるとあみだクジ。買い出しは誰か、金額はどれだけかとクジに注目し梯子の線上を辿る鉛筆の行方を見ながら歓声が上がった。
構内に床屋や物資部があって、一般の店舗より格安に商品が購入できた。そこで当番が茶菓子を購入して課に持ち帰って分配する。
勤務時間は5時までであったが、殆どの職員は2時間前後の超勤は当たり前に行なっていた。傍から見ていると中年層は生活給の足しにするためのように思われる人もあった。余談だが、庁舎内に床屋があって、勤務時間中に床屋に行っても何もお咎めはなかった。今から思えば良き時代だったのである。

連休が間近に迫ったある日、山陰方面へ旅行しないかという話が持ち上がって4人で行くことになった。
岐阜駅から夜行急行に乗り12時間かけて朝8時ころ小郡に到着した。そこからバスに乗り換え秋吉台に向かった。
秋芳洞で
広大な鍾乳洞とカルスト台地に感動した。
その日は湯本温泉に泊まる予定で観光案内所で旅館を紹介してほしいと頼んだが満員で不可。
7,8km離れたところなら宿泊可能ということで俵山温泉と聞いたことがなかった温泉に行くことになった。そこは湯治宿で粗末な旅館だった。近くに「摩羅観音」という祠があると聞いて見に行った。男性のシンボルが鎮座しており、湯治客が書いた安産の祈願札が何枚も掛けられていた。
翌日、仙崎に寄り、山陰本線出雲大社に向かった。縁結びの神様と聞いて、俺にも良いご縁に恵まれますようにと祈った。
出雲大社
出雲大社から日御碕灯台に行った。手の届くような近くの島に海猫の大群が羽根を休ませ、賑やかな鳴き声を上げていた。

日御碕灯台
再び出雲大社駅に戻り山陰本線で米子に向かった。宍道湖を左に見ながらやがて米子に到着した。米子から境線に乗り換え、境港へ。港は漁業基地として活気を帯びていた。そこからバスで美保関に向かった。関の五本松と民謡に歌われている五本松公園に寄ったが写真がないのでどのような場所であったか思い出せないのが残念に思う。
再び米子に戻り山陰本線で列車に乗り東郷湖に面した松崎で下車した。そこに松崎職員宿泊所が設けられていたので1泊した。
そんなに暑かったのかな?
翌日は鳥取砂丘に行った。日本一の砂丘だけあって、海が見えなければサハラ砂漠もかくのごとしかと思われるほどスケールが大きいのに驚いた。
広大な砂丘の風景

砂上にJNRと描いてから砂丘に登り撮影した
 砂丘見学のあと鳥取から城崎温泉にほど近い玄武洞駅に下車し、船で対岸に渡り玄武洞を見学した。
玄武洞
頭上に落下するかも
そこは人工的に積み上げたような6角形の石柱が何本も並んでいる不思議な場所であった。
再び駅に戻り列車で宮津に行き、天橋立を見物した。
ロープウエーで
天橋立で股覗き 絶景かな!


 その日は国鉄共済組合橋立荘に宿泊した。
翌日は一路岐阜へと向かった。車中泊1、その他3泊、4泊5日の楽しかった思い出が詰まっている山陰珍道中であった。
 

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