退職64までの勤務で、仕事が辛くてやめようと思ったことがあった。年齢が30前後だったが、期限までにしなくてはならない膨大な仕事量を抱え、毎晩1時を回っても机に向かっていた時代だった。山陽新幹線トンネル工事で断層破砕帯に遭遇して設計変更し、請負代金の修正業務と、高架橋工事で高架橋基礎の構造変更、それに伴う請負代金の変更業務が重なった。設計変更図面を作成し数量計算書の再作成、請負代金の変更まで、考えると気が遠くなる業務量だった。
導坑貫通式 局長が発破のスイッチオン |
貫通まで紆余曲折を経た 断層破砕帯に遭遇し迂回坑を設けた |
貫通点で担当助役を交え記念写真 |
S50年2月広島・博多間の試運転列車最後尾運転席に乗車し工事担当区間を撮影 |
今となれば「夢まぼろしのごとし」になってしまった。
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