2023年2月13日月曜日

あの「労音」が衰退したとは

独身時代の記憶に、全国組織のある団体が主催する各種コンサートに、毎月のように行ったことがあった。労組事務員が各課の世話役に入場券等の取り扱いを依頼していた。その世話役を頼まれ、結婚するまで続けた。

オペラ「蝶々夫人」、交響曲、坂本九のコンサート等に毎月参加した。会場は岐阜市公会堂だった。その労音だが、いつも間にか衰退したという。

姫路労音は健在!

労音の正式名称「勤労者音楽協議会」は、会員制を基本に運営される日本の音楽鑑賞団体。
1960年代半ばには、192の地域組織が存在し、60万人を超える組織となったが、その後、急速に衰退したという。現在では、各地に「勤労者音楽協議会」の名称だけでなく、「音楽鑑賞協会」「音楽鑑賞会」「新音楽協会」「コンサート協会」などの名称の40余りの組織が存在し、会員数万人の全国的なネットワークとして、「全国労音連絡会議」が存在する。


今も活発な活動を続けている姫路労音
1956年3月、金沢市に金沢労音が発足。
1956年11月、福井市に福井労音が誕生
1959年、77労音、会員32万人、1965年には192労音、会員65万人を超す巨大組織に成長。
衰退と再生
1970年代の初頭には、大阪労音も含め、大都市の労音は衰退した。その一方、大都市から離れた地方都市では、1000人から1800人前後を収容するような公共ホールができた1980年代以降のバブル時に初めて設立された地方組織も少なくない。一度労音が崩壊した後にまったく別のかたちでつくられた例もある。全体的な後退のなかでも、兵庫県西部(播磨)地域のように、1960年代の隆盛期と比べても組織を拡大させた地域もある。

結婚後は労音参加はゼロ。だから今まで全く関心がなかった。どういう訳かふと、労音を思い出して調べてみた。あの頃は楽しかったなぁ。

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