当時の金沢駅周辺といえば駅舎以外は木造家屋が密集した地域であった。
そこに都ホテルが新築され、金沢駅周辺のイメージが一新されたのである。金沢も都会になったもんだなぁと思ったものである。
新築開業した都ホテル |
金沢駅地下デパートから地下道で結ばれたこのビルの地下街には、喫茶店や映画館、レストラン、大衆酒場など1度は足を踏み入れた人も多いことだろう。
昭和38年にオープンして間もない頃、同級生3人が卒業以来久しぶりに再会した折、この6階レストランで洋食のフルコースで食事することにした。黒人のウエーターがつきっきりでサービスしてくれたのだが、何だか疎ましくサービス過剰!だと思ったものである。
昭和44年3月、新婚旅行で時間待ち合わせのため喫茶店に入った。ほんわか気分が災いして時計を見たら間もなく列車の発車時刻であることに気付いた。あわてて一目散にホームを目指して駆け出した。息を切らせてどうにか列車に乗ることができたが、「私を置き去りにして走り出すなんて!」と女房の小言が今も時々あるのだ。
昭和60年10月、私は岐阜に単身赴任していたのだが、国鉄改革業務の一環で承継事業体別仕分け業務のため、金鉄局に出向することになった。金鉄局2階に用地調査室という機関が臨時に設置され、そこで業務を執り行った。
昼の昼食はこのビル地下のラーメン屋に通った。不愛想な夫婦が営むラーメン屋であったが、味に定評があっていつも満員であった。
残業を終えると「ちょっと行くかー」と声がかかって、「白山茶屋」へ行くのが習わしとなった。
そこは旅行客や仕事帰りのサラリーマン等で常時満席の盛況であった。「ブリのアラ煮」が特にうまかった。
入り口 |
いつも満席だった |
そんな思い出がいっぱい詰まった都ホテルが解体されるという。だが、建物は消えても思い出は決して消えることはないであろう。
思い出をいっぱいありがとう! |
0 件のコメント:
コメントを投稿