地域によって地域独特の「ことば」がある。いわゆる方言である。
しかし、この地域独特の「ことば」は明治以降、軍隊の指揮命令の解釈が混乱する場合があり、これが死活問題に直結する。そんなことから明治政府は標準語なるものを定めた。
にもかかわらず、地域独特のことばは依然として根強く残っている。
本州最南端の佐多岬を旅行した際に乗り合いバスに乗った。数名の高校生が声高に会話していた。
ところが大きな声の会話だったが、全く理解できないのである。時々「ジャイアンツ」という言葉だけが分かり、プロ野球の話をしているのだろうとは分かったが。
輪島地方のことばは能登のどの地域にもない独特なことばとなっており、今も普通に話されている。「そうだろういえっ」という意味は「そうでしょう」。イントネーションも独特である。
ある研究者によれば、輪島の方言は鳥取や島根、あるいは北九州松浦の海士の言葉と共通していると指摘されている。
能登でも地域によって独特のことばがあって、イントネーションも違っている。
「あののきゃ」は珠洲、「そんながびっちゃ」は旧柳田村。宇出津地方も漁師町の伝統があって、独特のイントネーションがあり、すぐ出身地が判別できるのである。「てんごするな」などはその例である。
金沢と能登のことばも全くと言っていいほど相違している。東北地方の出身者は、何十年たっても「なまり」は抜けない。「こっちいりゃぁ」、「エビふりゃぁ」は名古屋。
先の海士ことばと同様に、船で往来している地方は県が違っても同じことばを話している。
私が豊橋に勤務していた時に、若い人が電話で実家の誰かと話していた。魚津出身の若い人は宇出津のことばそっくりなのであった。蛸島、宇出津、七尾石崎は見分けがつかないくらいだ。
宇出津地方で「はんかくさい」ということばが使われる。函館五稜郭の土産物売り場に北海道の方言を書いた暖簾があった。そこに「はんかくさい」があって、非常に驚いた。金沢でも何のことかわからないのにだ。北前船の影響?それとも北海道開拓で能登の人たちが移住した?
方言は実に奥が深い。だが、テレビの影響で若い人達は方言を話さなくなってきた。ことばの文化の衰退を憂い淋しくもある。
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