どういう巡りあわせなのか、2度とも町会の集会所にいた時、それは起こった。
6年前は10人ほどが、完成してまだ1年の新しい会館でカラオケ同好会が開かれていた3時過ぎ、そんなに強い揺れではなかったが「地震だ!」と誰かが叫んだ。
すぐテレビに切り替えニュース速報に見入った。東日本大地震が発生したのだ。
ニュースは切れ間なく流され、30分ほどには津波が押し寄せてくる状況をLIVE放送していた。
津波がすぐそばに迫っているのに車の列がのろのろ動いている。間もなくそれらは飲み込まれてしまった。津波はどんどん家を押し流し、何台もの車がぷかぷか浮いて流れていた。
あれから6年たったが、まだ3万人以上の人たちが仮設住宅で暮らしているという。街並みがあった場所は整地されてはいるものの、見渡す限り人の気配はなく草木もほとんどない。
原発が破壊されたため、まだ立ち入ることができないエリアは広い。
阪神淡路は20年経過して痕跡すら見えなくなった。東北地方もそれくらいの年月がかかるのだろうか。仮設住宅で暮らす高齢者の言葉が重い。「家を建て直す気力が萎えた」と。
10年前の3月25日、その日は日曜日、改築前のオンボロ集会所でパソコン作業をしていた。10時ちょっと前、突然激しい揺れが襲った。一瞬何をすればいいのか狼狽えた。2階で打ち合わせ中だった4,5人の婦人部の方が「きゃー」といって階段を駆け下りてきた。
「この集会所は古いから危ない。すぐ外に出よう」と誘導した。電線が縄跳びする縄のように大きく揺れていた。震度4だったが家に帰るとそんなに被害がないことを確認して胸を撫でおろした。
四国・東海・関東・東北まで広範囲に揺れた |
能登有料道路でも崩落が数か所で発生したが死者がなかった。これも奇跡的だ。
3月に発生した2件の大地震。森本・富樫活断層が暴れないように祈るのみだ。
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