2026年1月6日火曜日

しらさぎ、雷鳥時代が懐かしくなった

仕事の関係で長く宿舎住まいをしたが、岐阜市にあった宿舎から山王団地に新築(S56)し転居、そしてまた、能登から両親を向かい入れるために平成9年、現在地に新築したのだが、入居直前で親父が脳梗塞で死去した。

能登の実家は平成8年から令和5年まで空き家だったが、売却する方針として広告したところ、直ぐ買受人があったが、築数十年以上を経ていたので低価格だった。その合なしに地震が発生し、家は全壊は逃れたものの被害を受けた。現在、玄関とガレージの入り口がブルーシートで覆われている。買受人に申し訳ないという気持ちが消えない。

毎年、年末、5月の連休、旧盆には必ず帰郷していた。子供を連れて大きな荷物を持って長時間の旅に耐えた。
正月を実家で迎えた家族が一斉に自宅を目指して列車に乗る写真が掲載されていた。

何年か前まで自分もこんな行列の一員だった

過ぎてしまえば懐かしい思い出なのだが、実際は超満員の列車に押し込まれ3時間以上は耐えたものだった。特に金沢から宇出津間の2時間半の気動車が辛かった。過ぎてしまえば全てが懐かしい思い出である。

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