2013年9月7日土曜日

新幹線計画業務(その5)あんたら不動産屋さんか?

昭和45年4月、人員補充に伴い課の係が倍増した。
岐阜工事局土木課で一緒だった係長や4年先輩と己斐トンネル、五日市トンネルの調査、計画をしていたが、私はそれ以西の担当係に移動した。
新任の係長は北陸本線糸魚川~直江津間線増工事の能生トンネル担当現場の助役から転任した人であった。
戦時中は中国各地を転戦したというつわもので、ワンパオ(馬鹿者を意味するという)を連発した。
カイカイデー(早く)とかマンマンデー(遅い)という中国語も仕事中に連発した。

各トンネル工事の発注業務が迫り、その係長と二人で現場調査に行くことになった。
五日市トンネルの斜坑設置位置調査でひなびたたばこ屋に立ち寄ったとき、店のおばさんから「あんたら不動産屋さんか」と尋ねられた。係長は間髪入れずに「そうだ」と答えた。
おばさんはこの付近に最近不動産屋がひんぱんに来るようになったと話した。
地図と航空写真でその調査した場所を探したが、一山ふた山も開発され宅地化していて今ではどこがどこなのか見当もつかない。
大野トンネルは大野町が強硬にルート変更を要求中で、町内の調査立ち入りを拒否していたが、私服なので予定地を確認した。
大野町妹背神社に立ち寄り
次に大竹市玖波地内に向かった。ここは大野トンネルの出口と数百メートルの橋りょう区間に続いて大竹トンネル入り口となる地域である。
恵川という河川沿いに養豚所があって移転補償が必要であること等を確認した。
この後、大竹トンネルの出口となる県境小瀬川の現場を訪れた。
係長が「錦帯橋が近くだから行くぞ」というのでそこに向かった。
錦帯橋で
昨年、孫と錦帯橋を訪れた。そんな出来事が将来あるだろうとは当然想像すらできなかった。
孫二人と
現場調査が終わり、いよいよトンネル工事発注の積算業務を開始することになった。
そんな中、組合職員代表(まだ分会は未発足)から「ちょっと頼みがある」というので話を聞いたところ、「あんたに青年部長をやってもらいたい」と切り出された。断ったが、困り切った顔で何とか頼むと懇願され、やむを得ず引き受けることにした。


0 件のコメント: