2024年12月31日火曜日

孫の帰省いろいろ

名古屋と京都に住んでいる孫二人が帰省した。敦賀まで新幹線が開通したので、従来の交通手段とは大きく変わったという。孫の長男は名古屋からしらさぎに乗車し敦賀で新幹線に乗り換え、次男は京都から普通電車で湖西線経由で敦賀まで、敦賀から普通電車で福井まで、福井で乗り換え金沢までだという。学割も効かないというから割高らしい。

帰省客で溢れた金沢駅(28日)

新幹線は米原に繋ぐべしと強く思った。

まだ現役だった頃、3歳になる娘とゼロ歳の二女を連れて広島から能登へ里帰りしたことを思い出した。所要時間9時間、おむつ、ミルク持参だから荷物も多かった。七尾線は指定席がない場合もあったから非常に疲労が大きかった。
岡山駅で新幹線に乗り換えしようとした時だった。手を引いていた娘と手が離れたとき、混んでいるから違う人の手を握った。大声で違うよと叫んだらべそをかいていた。

広島から岐阜市に転勤になり少しは楽になった。そのうちマイカーで帰省するようになった。毎年欠かさず正月、5月の連休、盆休みの3回は子供を連れて帰省した。
その娘たちも50代。時間の経過が早すぎだ。

2024年12月30日月曜日

窓岩がないストリートビュー

グーグルマップのストリートビューで曽々木の窓岩がどうなっているのかみて見た。今年の8月に再撮影したことになっているから、震災から8カ月経過した状況の写真を見ることができる。
それは愕然とするものだった。見なければ良かったと思った。窓岩があったなんて嘘といわれてもどう答えていいのか迷う写真である。

あの存在感があった窓岩の影かたちがない!

本当に情けない姿に変貌しているではないか。あの窓岩に登って写真を撮ったことなんて夢まぼろしとなってしまった。
去年の投稿写真で夕日が窓から輝いている風景が瞼に残っているというのにだ。

ついでにもう人手に渡った住み慣れた家も見た。

人が住んでいる気配があった。隣の家は取り壊され更地になっていた

家を買ってくれた人はアメリカ人だった。民宿をしたいと購入されたが、修理するところが何か所もあるということも漏れ聞こえてきた。何だかお気の毒に思う。民宿開業には泊まりにきてもらいたいと話されていた。気長にその日が来るのを待ちたい。

2024年12月29日日曜日

石川さゆりが能登町の復興応援特命大使に就任

今年も残り2日となった。今年中にしなければならない仕事が残っている。児童の下校時安全誘導員の当番表作成と町内協力者である誘導員12人のお礼の粗品を配りに回らなければならない。

さて、今朝の新聞によると、石川さゆりが、能登半島地震や豪雨で大きな被害を受けた能登町の「復興応援特命大使」に本日(29日)付で就任するという。
任期は3年。ヒット曲「能登半島」で知られる石川さゆりが、歌で被災者を励まし、復興へ向かう地域の魅力を発信する。

今日から能登町の応援特命大使となった

東京都内で25日に委嘱状を受け取った石川さんは「日本中の皆さんに、自分にできることは何だろうと思ってもらい、心をつないでいくことができたらいい」と語った。

1977年、19歳の時に「能登半島」を発売して以来、地域との縁を深めてきた。地震後もたびたび能登を訪れて仮設住宅で暮らす人たちの声に耳を傾けながら、生活を復旧する困難さも目の当たりにした。「おいしい魚介があり、美しい景色もありました。また皆さんが行けるような状況になれば、いっぱい旅行もしてほしい」と述べた。

能登はいらんかいねを歌った坂本ゆふみや輪島朝市を歌った水森かおりも頼めば応援してくれるだろう。

2024年12月28日土曜日

よくぞ困難を乗り越え国道開通させた

地震の被災写真で最も驚いたのが仁江付近の数か所にのぼるがけ崩れの写真だった。その区間に国道が修復され昨日開通したという。この難工事をクリアした関係者の皆様に元土木屋として「よくやった!」と拍手を贈りたい。

逢坂トンネル出口から仁江海岸に沿う国道被災状況

工事は先ずがけ崩れが再び発生しないように措置しなければならなかった筈である。
真浦に逢坂トンネルの入り口があるが、入り口手前から海岸線に沿って仮道路として復旧させた。

素晴らしい道路が完成した

逢坂トンネル出口付近

そして真浦海岸にまたロシアの船が漂着したという。

ロシアは不要船の始末場として日本海を選定したようだ
その尻拭いはしたくないがこのでかい船の始末は捨て置くわけにもいかない

邪魔にならないようになったら一度ぐるりと一周してみたい。

2024年12月27日金曜日

大混乱を見て犯人は「してやったり!」と

またけしからんやつにより国内交通機関が大混乱した。
JALがサイバー攻撃を受け、年末旅行客の国内外線の運航に大きな影響が出た。多くの便に遅れが生じたほか、発券にも支障が出たという。年末年始の繁忙期に公共交通機関の混乱を狙ったサイバー攻撃は極めて悪質である。
捜査機関は一刻も早い全容解明と犯罪者の摘発に全力を挙げてもらいたい。同時に各企業や公共団体はサイバーセキュリティーの強化を推進するとともに、政府・国会には「能動的サイバー防御」の実現に向け早期の法整備を望みたいところだ。

犯人は「してやったり」とほくそ笑んでいるに違いない

日航によると、26日午前7時25分ごろから社内外をつなぐネットワーク機器にサイバー攻撃があり、システムの不具合が起きた。大量のデータを送りつけてサーバーに負荷をかける「DDoS攻撃」を受けた可能性が高いとされる。日航は、標的となった疑いが濃厚なルーターを一時的に遮断することに成功したものの、復旧までに約7時間を要した。

令和6年版情報通信白書によると、大規模サイバー攻撃観測網(NICTER)で昨年確認されたサイバー攻撃関連の通信数は、約6197億パケットにのぼり、平成27年の約10倍になった。今年3月には光学機器メーカーHOYAが、身代金要求型コンピューターウイルス「ランサムウエア」に攻撃されるなど企業や中央官庁を狙った攻撃が拡大している。中国やロシアの軍や情報機関と密接な関係にある組織の関与が疑われているケースもある。

知恵を絞り、このような被害が防止できる組織を緊急に立ち上げるべきである。

2024年12月26日木曜日

昨日は朝から金沢の空にも青空が広がった

昨日は朝早くから久しぶりに青空が広がった。何日ぶりになるのだろう。久しくウオーキングをやっていない。テレビの天気予報では北陸は雨か曇り、名古屋・静岡等は晴れのマーク。このパターンは2月いっぱいまで続く。
貴重な晴れ間なので、先ずウオーキングから開始。百坂経由で駅方向に歩いて駅の階段は2段飛びで登った。2階通路の駅西側ベンチで一休みして再開。

森本駅自由通路 突き当りのベンチで一休み

和菓子屋前で県道を渡り郵便局前を通るのが定番コース。しばらく歩くと両側の田んぼ道を進み、昨日はルートを変え八幡公園に入った。

昨日の八幡公園はグラウンドゴルフが楽しめそうだった

帰宅して一休みしてから家のガレージのシャッターや玄関フードの水洗い。
昼からは梅の木とアンズの木に元肥をまいたり、木の伐採をした。着々と新年を迎える準備が整いつつある。

2024年12月25日水曜日

最後の年賀状づくり

最近、あちこちに年賀状じまいという言葉が多くみられるようになってきた。自分あてに来たこれまでの年賀状にも多数届いている。ところで、来年の年賀状だがどうするか家内と話し合った。その結果、今回を持って終わりにすると明記して作成することにした。
住所録の訂正作業から始まった。PCで喪中で来なかったマークを外してプリントアウトし、枚数をカウントして所要枚数を掴んで年賀はがきを購入した。

 
思えば、小学生の頃から2,3枚出し始めた年賀状。これまで何の抵抗感もなく出し続けてきたが、傘寿を超えたあたりから苦痛を感ずるようになった。
年賀状といえば必ず彫刻刀で板を削る作業がかなり長く続いた。そして絵の具を付けてプリントし、乾燥させるため部屋中年賀状だらけとなったものだ。
それからPCが現れ、年賀状の作成作業が一変した。随分と作業が楽になった。
だが、寄る歳の波に抵抗できないようになり、作成作業を続ける意欲が半減してしまった。

 
昨日、その作業が完了した。終わってしまうと何だか物寂しく思う。

2024年12月24日火曜日

今朝は医科大病院へ

1カ月ぶりに医科大病院へ行ってきた。朝8時20分発、いつもこの時間帯に発生する8号線までの家の前の渋滞する市道は、どういう訳か数台の信号待ちで通過できた。8時45分受付が終わり皮膚科受付へ。1年に2回診察となった泌尿器科の待合室は教授の診察日なので超混雑していた。この日は医科大で最も混雑している泌尿器科だが、自分の次回予約日は5月中旬となっている。

こんなに空いている駐車場は見たことがない

皮膚科の受付を終え待合室で十数分待ったら受付番号が表示されて入室した。本来の女医さんが都合で休みですと代わりの女医さんから告げられた。
症状を伝え、体の状態を確認してもらった。今回は新たに頭皮が痒くフケが出るようになったので顕微鏡で皮膚の断片を診断してもらった。特に悪さをする菌はなしという。
処方箋を作ってもらい診察終了。
処方箋を受付に提出し、薬局にfaxしてもらった。この費用はかからない。

診療費用380円を自動支払い機で清算し、駐車料金精算所で支払い全て終了した。
帰り道に町内の薬局で薬を受け取り家に帰った。今日は2時間30分とかなり早く帰ることができた。次の医者は近所のクリニック。そこは1カ月に1回痛風と高血圧の薬をもらいに行っている。今のところそんなに大きな病気ではないのがうれしい。昨日から年齢が一つ加わった。トホホ・・・

2024年12月23日月曜日

さっき晴れていたのにまた降ってきた

朝飯を食べていて何となく外が明るい気がしたので外を見た。するといつの間にか青空が広がっていた。それから1時間くらい経った今、もう一度外を見たらいつものどんよりした空に変わっていた。路面には1,2センチの積雪、屋根瓦の上には3cm程度雪が乗っている。

これくらいの積雪だと何の支障も生じない

多い時には4,50cmを超える積雪があるが、先日、スノーダンプが壊れたので新しく買い替えした。今年から孫次男も県外の大学に進学したのであてにできなくなった。除雪の場合は強力な助っ人だった二人の孫はもうあてにできないから、自分がやるしかなくなった。

その孫たちは28日と29日に帰省するという。ま、年末年始はあてにできるだろう。

7年前の1月1日の近所の風景

年を重ねて今日がまた誕生日だが、この年になると除雪がこたえるようになった。どうか降りませんように・・・と祈るしかない。


2024年12月22日日曜日

輪島の給食プロジェクトチームの活躍に感動

昨日のプロジェクトxは輪島の震災受難者の給食を作ったチームの活動を放映していた。給食を作ったチームの発足は重蔵神社の女性の禰宜が発起人だった。もちろん重蔵神社も大きな被害を受けているが、禰宜の野門さんが一人づつ声掛けしてチームが結成され、何と10万食を市民に届けたという。

重蔵神社の被害状況

調理人、食堂のオーナー、大工さん等々、職種は多種多様な人で構成された。

ここから給食が始まった

最初のうちは食材が足らなくておにぎり1個づづしか作れなかった。そうこうしているうちに徐々にスタッフも増え、金沢から食材は提供され始めたという。

スタッフの一部が出演した

喜んで食べている姿を見てスタッフになって良かったと思ったという

暫くは食料が全然足りなくて小さいおむすび1個だったという

それでも食料が行政で手配できるようになるまで10万食を供給したというから頭が下がる。自分も近くにいたら何か手伝いができたのではないかとも思う。
スタジオに集まった人たちは全員「スタッフになって良かった」と言っていた。そんな言葉を聞いてジンときた。皆さん、ほんとうにご苦労様でした。ありがとうございました。

2024年12月21日土曜日

おしんが登山家に!

 もうずいぶん昔の話になったが、朝ドラ「おしん」が放送されていた頃は金沢に勤務していた。仕事は9時開始だったが、その前に「おしん」を見ていた。その主人公が小林綾子だったが、先日登山の番組に「あれ!」と思った。あの「おしん」の小林綾子が薬師岳に登山するというではないか。薬師岳と言えば若い頃テントを担いで登り、頂上で1泊した思い出の山なのだ。小林綾子は登山が趣味と聞いて驚いた。

薬師岳登山

いざ登山開始

薬師岳は独身時代に職場仲間と登った。頂上付近でテントを張り、夜の星空に感動を覚えた。
職場の3人で登山した

2,3週間前だったが、小林綾子が再びNHKの番組で槍ヶ岳に挑戦していた。中々の本格派である。名演技のおしんだったが、登山でも我々の水準をはるかに超えている。
おそれいるばかりである。

2024年12月20日金曜日

田中交差点一方通行路(高速道金沢東アプローチ道路)の逆走事故

いつも通っている田中交差点付近の高速道アプローチ道を逆走して衝突、どこから侵入したのか謎だという昨日の事故だが、地図でどこで発生したのか探ってみた。
19日朝、金沢市の国道8号で道路を逆走していた乗用車が別の乗用車と正面衝突する事故があり、逆走の車を運転していた高齢男性が死亡した。
19日朝6時40分ごろ、富山方面に向かう金沢市松寺町(千木町の誤りか?)の国道8号で、逆走していた乗用車が別の乗用車と正面衝突した。

NHKニュースの画面

警察によると、この事故で逆走の車を運転していた志賀町荒屋の向田敏勝さん(72)が意識不明の状態で市内の病院に搬送されたが、その後、死亡が確認された。
もう一方の車を運転していた20代の男性に、大きなけがはなかった。
現場は国道8号の田中交差点から200メートルほど離れた片側2車線の見通しのよい直線道路。

逆走した富山方面に向かう道路は、ニュースを見てもはっきり位置が分からない。自分で地図を見てみた。

8号線から富山へ向かう道は料金所を通過する

逆走車の侵入ルートは金沢市内方面に走行して誤って富山へ向かうカーブの道路に侵入し、料金所前に来て間違ったと気づきUターンし、8号線に降りるために逆走したと想定される。そして対向車と衝突して死亡したという。こんな事故のニュースを見て、しっかり確認して走行しようと思った。

2024年12月19日木曜日

例年より悪い12月の天候

今日の天候も曇りまたは雨の予報となっている。例年よりお日様の出ている時間が少なく感じる。全国的に見ても北海道や青森は例年より積雪が早くかつ多くなっている。
今年9月に行ったことのある青森の酸ヶ湯では2mを超えたという。

八甲田山の麓だから豪雪となる

ここには今年の9月に訪れた

ニュースによると、こんな積雪があっても観光客が切れ目なく訪れているという。

駐車場はこんなに広いので除雪が大変だと想像できる

金沢は積雪はまだないが、連日の天候は雨か曇り、かつ強風の日が多くなっている。
名古屋は連日晴天が続いている。余りにも差が大きいので腹が立つくらいだ。
ま、今年に限ったことではないのでしょうがないと諦めざるを得ないか・・・

2024年12月18日水曜日

地震でつぶれ再建中の建物が水害でやられた歯科医がめげずに開業

今朝の新聞記事を見て感動した。一度このブログで紹介した町野のダブル災害に遭遇した歯科医が今月上旬に開業されたという。心が晴れた!

今月上旬に開業した広江医院

真新しい医療機器に囲まれ、仕事ができる喜びを語る廣江雄幸さん

地震で被災し、再建中だった診療所が9月の能登豪雨で浸水した輪島市町野町の歯科医院「広江歯科」が再建が成り今月上旬、診療を再開した。当初予定していた再開時期からは少し遅れたが、支援の力が結集し、二重の被災を乗り越えて新たな一歩を踏み出した。院長の廣江雄幸さん(72)は「ボランティアの方がいてくれたからここまで来られた」と感謝を胸に診療に臨む。

地震被害で建物が破壊し、そしてまた再建中の建物が水害でパーとなった惨状

42年前に開業した医院は、元日の揺れで床が抜け落ち、4台あった診療台もすべて使えなくなった。年齢などを考慮して再建するか悩んだが、「地元の歯科医師になる」と覚悟を決めて県外から故郷に帰ってきた決心を思い返し、再建を決断した。

いやはやめげない意志でダブル被害を乗り越え再建された広江医師に拍手を贈ろう。

2024年12月17日火曜日

妙成寺のすす払い

今日の朝刊で妙成寺のすす払いという記事が掲載された。このブログでも掲載したことがあるが、それは中学1年生の時に金沢から汽車に乗って見学に行った際の内容だった。
写真は五重塔をバックにして写っているのだが、もう数十年前の出来事なのでどのようなお寺だったのかすっかり忘れてしまった。
今日の新聞に、その五重塔のすす払いをしている写真が掲載されている。

すす払いの模様

羽咋市滝谷町の妙成寺で15日、すす払いがあった。僧侶や檀家(だんか)ら十数人が、ささ竹を使って今年1年のほこりを落とした。
一同は丈六堂の仏像や五重塔の軒下などを丁寧に掃除。新年を無事に迎えられるようにと願いを込めた。
檀家筆頭総代の野川哲郎さん(77)=滝谷町=は「今年は地震や豪雨などの災害に見舞われた。新しい年がいい年になれば」と話した。

妙成寺についてもっと知りたくなってPCで写真を検索した。


妙成寺山門 金栄山ということを初めて知った

本堂

中1で見学した

国宝指定をめざして運動しているようだが、なかなか思うようにならないようだ。
石川県内には建物として国宝は一つもない。是非、国宝化を実現してもらいたい。

2024年12月16日月曜日

国道輪島~町野間開通

能登半島地震や水害の被害状況について投稿される動画が多くある。現地に行かなくてもその状況がどのようになっているのかとてもよくわかる。先だっても輪島・町野間の開通時の動画があった。大川浜付近の国道は大規模な土砂崩壊で不通になっていたが、隆起した海岸を利用した仮設道路が開通した。

大川浜付近の付け替え道路


この付近は何度となく通行した場所なのだが、以前がどんな道路だったのか詳細は忘れてしまっている。このような動画が見られて本当にいいことだと思う。

ようやく河井町の復興工事が着手された

大規模火災のあった河井町に10台の重機が動いているのが確認できる。トータルすると十数台のユンボが稼働していると想像できる。

この様な動画を見ると少しだけ復興に向けた具体的な動きが見えた。

2024年12月15日日曜日

古墳時代前期に繁栄していた金沢

金沢の歴史で知っていることと言えば室町時代以降だが、これまでの発掘調査で発見された相当古い時代の遺跡もあるようだ。
金沢市が実施している発掘調査で、古墳時代の遺跡が発見されたという。

幅3.5m深さ0.6mの周溝が発掘された

在調査中の南新保C遺跡は金沢平野の北部、金沢港までは約2㎞の臨海部に位置している。 現在は水田や果樹園が広がる田園風景だが、かつては沼が広がり小川が網目 状に流れる低湿地であり、その中の微高地上に南新保C遺跡を含む複数の遺跡 が点在していたようである。周辺には南新保A~E遺跡、南新保三枚田遺跡のほ か、弥生時代の大集落である西念・南新保遺跡などが分布している。

南新保C遺跡から出土したものの見学会

市埋文センター 大きな集団 繁栄の可能性
金沢市埋蔵文化財センターは14日、発掘調査を進めている南新保C遺跡(同市南新保町)で、本年度の成果を報告する説明会を開いた。前方後方墳の全長が31メートルで周辺地域では最大規模と分かり、古墳時代前期に大きな集団が栄えていた可能性が浮かび上がった。 
市は土地区画整理事業に先立ち、2020年度から発掘を進めてきた。過去に県の調査で前方後方墳の存在は分かっていたが、全容は不明だった。
 今年9月から調査地(3350平方メートル)での発掘を開始。古墳を縁取るように掘られた「周溝」(幅3・5メートル、深さ0・6メートル)が見つかった。


金沢は太古の昔から栄えてきた証である。このほか発掘された埋蔵文化財は県の埋蔵文化財にも展示されている。市の埋蔵文化財センターへはまだ行ったことがないので一度行って見たいと思っている。

2024年12月14日土曜日

二度と行くことはない超高級ホテル

海外旅行の第1回目は平成5年9月のシンガポールだった。メンバーは2組の高校の友人の夫婦だった。それからもう31年も経過した。本当はヨーロッパ旅行だったのだが、長期休暇を取るのが困難ということから、5日間のシンガポールとなった経緯がある。

なので、旅行資金はゆとりがあったので、シンガポール最高級のホテルに1泊することにした。そのホテルというのはラッフルズホテルだった。

ラッフルズホテル前で

ベッドルームの次の部屋

レストランマキシドパリで夕食

シンガポールからマレーシアのジョホールバルへ
背面島影はシンガポール

どういう訳かマレーシアの女性と記念写真

もう31年も前の旅行になったので街並みは随分変わったと思うが、写真を眺めるとつい最近の出来事のように思える。

2024年12月13日金曜日

19年前のパソコン講習会

現在はスマホ時代に変わってしまったが、20年前はようやく家庭にパソコンが普及し始めたころだった。そんなことから、町内の一般家庭で、これからパソコンを始めようかと考えている人を対象にパソコン講習会を企画した。
参加者を募集したところ十数名が集まった。パソコンは公民館から数台借用し、町会役員からも数台協力してもらうことができた。

「パソコンで何ができるか」から説明

真剣に受講された

何人かの町会役員が個別指導にあたった

8回の講習会で住所や名前が入力できるようになった。
現代はスマホ時代に変わってしまった。ノートパソコンがあった家庭でも、もう古くて使えないが、スマホがあれば十分となってしまった。
あの時代がなつかしい。