2026年1月8日木曜日

何とすばらしい!世界三大夜景の一つ

もう随分昔の話になってしまったが、平成10年3月末に退職が決まっていた3月上旬に、家内と二人で北海道を巡った。金沢から小牧飛行場までマイカー、小牧から女満別まで飛行機、そこからバスで網走に向かった。翌日、網走から小樽まで列車に乗って観光し、札幌で泊まった。
札幌観光後に列車で函館へ行ったのだが、そこで感激した函館の夜景。


裾広がりの独特の夜景は世界三大夜景といわれて、長崎や神戸より何段も上の夜景である。
夜景を堪能した翌日、駅のすぐ横にあるホテルから先ず朝市、倉庫群、坂道からの港の風景を楽しんだ。
海へ向かう石畳の一本道や、和と洋の要素が融合した歴史的建造物などが点在しています。

ホテルから函館駅(改築前)

そういえば前日の小樽運河も素晴らしい風景だった。

この日はかなり雪があった

北海道旅行はこの時が最初だった。それから何年か経って礼文・利尻・宗谷、そして、帯広の幸福駅、釧路、知床と廻った。まだ見たい所がある。富良野、余市等へ行ってみたいが実現するか否か。

2026年1月7日水曜日

アッと驚く為五郎!

金沢駅の利用客最多記録は、2025年12月26日から2026年1月4日までの年末年始に、約43万人が利用したという。これは、金沢開業以降、過去最多の記録らしい。1日あたりの利用者は約4万3千人で、昨年の盆期間を抜いて過去最高を記録したようだ。
 2015年金沢開業以来 外国人観光客の利用拡大、臨時列車増便の効果もあったという。


前年の同じ時期に比べ9%の増加で、1日あたりではおよそ4.3万人と、年間を通じても過去最多となった。
JR西日本は増加の要因について外国人観光客の利用が拡大するなど、旅行需要が安定していることに加え、臨時列車を前の年より32本増やしたことで、これまでより座席を確保しやすくなったことなどを挙げている。


また、特急「サンダーバード」の利用者も前年より6%、特急「しらさぎ」の利用者も4%増加したほか、金沢と和倉温泉を結ぶ特急「能登かがり火」はおよそ5100人、率にして38%と大幅に増え、JRは地震からの復旧が少しずつ進んでいる表れとみている。

在来線のみだった頃は、車内はおしあいへいあいの大混雑ぶりだったことを思えば、いかに新幹線の輸送力が大きいかがわかる。高速道路がなかった頃と開通した頃との違いのようだ。

2026年1月6日火曜日

しらさぎ、雷鳥時代が懐かしくなった

仕事の関係で長く宿舎住まいをしたが、岐阜市にあった宿舎から山王団地に新築(S56)し転居、そしてまた、能登から両親を向かい入れるために平成9年、現在地に新築したのだが、入居直前で親父が脳梗塞で死去した。

能登の実家は平成8年から令和5年まで空き家だったが、売却する方針として広告したところ、直ぐ買受人があったが、築数十年以上を経ていたので低価格だった。その合なしに地震が発生し、家は全壊は逃れたものの被害を受けた。現在、玄関とガレージの入り口がブルーシートで覆われている。買受人に申し訳ないという気持ちが消えない。

毎年、年末、5月の連休、旧盆には必ず帰郷していた。子供を連れて大きな荷物を持って長時間の旅に耐えた。
正月を実家で迎えた家族が一斉に自宅を目指して列車に乗る写真が掲載されていた。

何年か前まで自分もこんな行列の一員だった

過ぎてしまえば懐かしい思い出なのだが、実際は超満員の列車に押し込まれ3時間以上は耐えたものだった。特に金沢から宇出津間の2時間半の気動車が辛かった。過ぎてしまえば全てが懐かしい思い出である。

2026年1月5日月曜日

30年前の職場の風景

長かった正月休みも4日で終わり、今日5日から仕事始めとなった。年末は27日から昨日まで9日間も休みが続き、ようやく通常業務が開始された。自分が現職だった頃は通常は12月28日が御用納め、1月4日御用始めとなっていた。
御用始めの日は10時、正門守衛室前の広場に全職員が集合して局長の挨拶が行われた。5分程度で話が終わると各課に戻りお神酒が配られ雑談タイム。そして、一人また一人といなくなった。あちこちで囲碁が始まり、やじを飛ばすやからもいた。

仕事始めの通勤者たち

用務に支障がない場合は帰宅自由・・・という放送で昼前後になると殆どが帰った。それからの行く先は課長宅だった。30人前後の課だったから20人ほどが課長宅に押しかけた。
そのため、課長夫人はてんてこ舞い。一応、家にお伺いした者は手ぶらだったから、課長宅は大変だったと思う。
しかし、良き時代だったと思う。幹部クラスの宿舎から少し離れた場所に、一般職員の居住宿舎があったのだが、ここもかなり遅くまで賑やかだった。

翌日からは平常勤務となった。だが、OB達が入れ替わり立ち代わりやって来て雑談、仕事に手がつかない時もあった。
今から30年以上も前の正月風景だった。

2026年1月4日日曜日

驚異的怒涛の山登りに血沸き肉躍った

2日、3日とテレビにかじりついて成り行きに注目した。2日はビリグループで走る青学に「何でや」と思いながら画面にかじりついていた。もうこれはいくら青学といえどもトップはないとがっかりしながら見ていたのだが、5区に入ってあれよあれよの黒田朝日の走りに驚愕しながら注視していた。

何と4人抜きでトップに躍り出たではないか!

大会3連覇を狙う青学大が5時間18分8秒の新記録で3年連続8度目の往路優勝を果たした。1区で16位と出遅れたが、徐々に順位を上げて、山登りの5区でエースの黒田朝日主将が5位から一気に逆転したのだ。
小田原でたすきを受け取ったときにつけられていた先頭との差は3分24秒。しかし、黒田が天下の険で驚愕の走りをみせつけた。グングン差を詰め、ゴール直前でライバルを一気に抜き去った。ひどそうな顔は全く見せなかった怪物の誕生であった。

大逆転での往路3連覇達成。立役者となった黒田は高らかに叫んだ。 「僕が『シン・山の神』です!」 と。
5位から2位に浮上しても勢いは止まることがなかった。19・3キロ地点。力強い走りで先を行く早大の工藤をかわす。首位に浮上すると、そのまま芦ノ湖のゴールに飛び込んだ。区間記録を1分55秒更新する快挙に、「自分はとにかく前に行くしかないと思っていた。実力以上のものを発揮できたと思う」。余裕すら感じさせる笑みを浮かべた。  「黒田5区計画」は1年生のころから温められていた。準備はしていたが、1年時は故障のため補欠に。2、3年時は、「若の神」とも呼ばれた山登りのスペシャリスト・若林がいたため、2区で出走。しかし、今回は他に2区を託せる選手が育ち、「ファンにとっては自分が(5区を)走るのが、すごいサプライズだと思っていた。うまいこと隠していこうという感じだった」と種明かしをした。 

原晋監督からは「どの駅伝でも確実に120%以上の走りをしてくれる」と絶大な信頼を寄せられる青学大のエース。昼過ぎの箱根の山に、大きな大きな朝日が昇った。かっちょいいなぁ。
テレビ観戦者はまるで自分もゴール付近にいて朝日を迎えたような気持になった。
黒田朝日、青学にカンパーイだ。

2026年1月3日土曜日

イベントは明日までだが、温泉としては二重丸

今朝の新聞に徳光SA隣の温泉の記事が掲載されていた。この温泉に町内のシニアクラブで行ったことがあった。以外と空いていて、それでいて浴槽も広くて値段の割にはとてもいい温泉だと思う。穴場的な温泉である。自動車道で行けばとても近くて便利な場所である。

徳光ICに隣接

徳光インターで駐車可能なので駐車料金も不要。このインターから一般道に出られるようになっている。


新年のイベントとして「目標風呂」が設けられているという。期間は明日までらしい。
記事を見て見よう
新年の抱負や夢を書いた木の板を湯船に浮かべる「目標風呂」が、白山市徳光町の松任海浜温泉おつかりさまに設けられている。「健康に過ごせますように」や「第一志望に合格」などの目標が漂う。明日4日まで。
 新年の恒例企画で、昨年12月22~30日に入浴客が手のひら大の木の板に新年の目標や夢を記入。1日から男女それぞれの大浴場に計約500枚を浮かべている。
 支配人の吉岡大知さんは「他の方の目標を見て、今年1年頑張ろうと思ってもらえたら」と話した。午前5時~午後10時半。入浴料は大人530円、小学生150円、幼児100円。

浴槽は広い


銭湯へ行くより安いかも。

2026年1月2日金曜日

朗希の人柄に惚れた

先月7日に佐々木朗希が、珠洲市蛸島の野球場で野球少年たちの指導教室を開催したことは
記したが、その朗希が高校時代に遊学館と泉丘と試合をしたという記事があったので、大いに驚いた。
当時、孫が泉丘に通学していたが、そんな話は聞いたこともなかった。孫は野球部に無関心だったこともあって、話題にも上らなかったのだった。

岩手県出身の佐々木投手は小学3年生の時に東日本大震災を経験。当時、プロ野球選手やOBが被災地で開いてくれた野球教室が佐々木投手にとって忘れられない思い出になったことから今回、能登の子どもたちのために教室を開いたのだという。アメリカからわざわざ能登に来たのだ。佐々木投手は参加した能登の小中学生約190人にボールの投げ方などについてアドバイスを送った。
そんな記事を見て、佐々木朗希の能登の少年たちの思いやりに感動した。


●泉丘と対戦の思い出
石川県に来たのは人生で2度目だという。最初は大船渡高野球部時代に練習試合で滞在した。「対戦相手は遊学館と、頭のいい学校、確か泉丘だったと思います」。当時は観光もしなかったそうで「いつかゆっくり金沢も見て回りたい」と語った。

戦いの舞台は日本から米国に移った。WS制覇に貢献したが、「うまくいかなかった1年」ときっぱり。自身はレギュラーシーズン途中にけがで一時離脱した後、ポストシーズンでは「抑えのエース」を任されて活躍。「最後はチームの力に少しでもなれてよかったけど、個人的にはまだまだ」と浮かれず反省ばかりだった。

佐々木朗希の人間性というか人柄に、改めて惚れてしまったではないか。