2026年1月11日日曜日

今日はどんど焼

今日は荒屋八幡公園でどんど焼が行われる。8時、荒屋町10世帯から代表者一人が出てお世話される。その隣接団地に住む300世帯前後が便乗させてもらっている。この地域住民となった平成9年以降、毎年正月には欠かさずお世話になっている。

今日は朝から強風が吹き荒れているが、9時過ぎにそこへ行ってドンド焼の予定である。
昨年までは年賀状もそこで燃やしていたが、今年から年賀状じまいをしたので燃やす年賀状はなくなった。去年までは年賀状を燃やし終えるのに30分前後かかった。

もうずいぶん前の話になるが、1月15日石浦神社のどんど焼きに行ったことがあった。山のように積みあがった紙類が燃えて近寄りがたいほど熱つかったのが印象に残っている。


孫たちがここで七五三をやった

その孫たちは今月五日頃に名古屋と京都に帰ってしまった。久しぶりの賑わいはあっと言う間に終わった。

2026年1月10日土曜日

午年生まれの独り言

 今年は午年。久しぶりの年男なのだが、そのことについては余り詳しくはない。年男・年女は、その年の運気を背負う存在と考えられてきたというが、あまり実感としてはない。神社の行事や地域の祭りでは、年男が中心的な役割を担うこともあり、厄を払い福を招く象徴とされている。が、都市部に住む自分としてはあまり実感が湧いてこない。


県内でことし、年男・年女となる「午年」生まれの人は8万3850人で、十二支別の人口でみると、2番目に少なくなっているのだとか。県の統計情報室がまとめた推計によると、ことし年男・年女となる「午年」生まれの人は男性が4万650人、女性が4万3200人で、あわせて8万3850人だという。

年齢別では
▼ことし48歳となる昭和53年生まれが1万4350人と最も多く
▼次いでことし72歳となる昭和29年生まれが1万3450人。また、
▼ことし12歳となる平成26年生まれは9000人で1万人を割り込んでいる。
残念ながら昭和17年生まれの数字が示されていない。

人口減が今後ますます顕著になることから、年男はだんだん減少していく。政府はもっと本腰を入れて人口対策を講ずるべきだと思うが・・・

2026年1月9日金曜日

日本産業の危機

「輸出規制は脅しか本気か」というニュースを見た。中国がレアアースにも規制するとの見方が強いという。で、台湾有事について国会答弁した総理は、集団的自衛権行使が可能な存立危機事態になり得るという認識を示してから7日で2カ月。

この間、中国は国民への訪日自粛要請や日本産水産物の輸入停止など、事実上の対抗措置のレベルを段階的に引き上げるとともに、欧州やアジア諸国に対日批判で同調を求める外交を展開してきた。昨年12月には中国軍機が自衛隊機にレーダーを照射するなど、偶発的な衝突を招きかねない行動にも及んでいる。

一方、日本側は有効な打開策を見いだせていない。保守強硬派として知られ、「強いリーダー」を演じる首相にとって、中国の反発を理由に国会答弁を撤回することは難しいのだという。連立組み替えで中国とパイプを持つ公明党は野党に転じ、関係改善に向けた交渉も望めない。頼みの米国もトランプ大統領が中国との貿易関係を重視し、日中対立への深入りを避けている。

しかし、だ。「中国経済は良いとは言えず、輸出を止めれば日本と取引のある企業に痛手になる。お互いにチキンレースになってはいけない」。官邸幹部は手詰まりの現状を覆い隠すように、そう漏らした。

さて、この先行きはどうなるか予断を許さない。

2026年1月8日木曜日

何とすばらしい!世界三大夜景の一つ

もう随分昔の話になってしまったが、平成10年3月末に退職が決まっていた3月上旬に、家内と二人で北海道を巡った。金沢から小牧飛行場までマイカー、小牧から女満別まで飛行機、そこからバスで網走に向かった。翌日、網走から小樽まで列車に乗って観光し、札幌で泊まった。
札幌観光後に列車で函館へ行ったのだが、そこで感激した函館の夜景。


裾広がりの独特の夜景は世界三大夜景といわれて、長崎や神戸より何段も上の夜景である。
夜景を堪能した翌日、駅のすぐ横にあるホテルから先ず朝市、倉庫群、坂道からの港の風景を楽しんだ。
海へ向かう石畳の一本道や、和と洋の要素が融合した歴史的建造物などが点在しています。

ホテルから函館駅(改築前)

そういえば前日の小樽運河も素晴らしい風景だった。

この日はかなり雪があった

北海道旅行はこの時が最初だった。それから何年か経って礼文・利尻・宗谷、そして、帯広の幸福駅、釧路、知床と廻った。まだ見たい所がある。富良野、余市等へ行ってみたいが実現するか否か。

2026年1月7日水曜日

アッと驚く為五郎!

金沢駅の利用客最多記録は、2025年12月26日から2026年1月4日までの年末年始に、約43万人が利用したという。これは、金沢開業以降、過去最多の記録らしい。1日あたりの利用者は約4万3千人で、昨年の盆期間を抜いて過去最高を記録したようだ。
 2015年金沢開業以来 外国人観光客の利用拡大、臨時列車増便の効果もあったという。


前年の同じ時期に比べ9%の増加で、1日あたりではおよそ4.3万人と、年間を通じても過去最多となった。
JR西日本は増加の要因について外国人観光客の利用が拡大するなど、旅行需要が安定していることに加え、臨時列車を前の年より32本増やしたことで、これまでより座席を確保しやすくなったことなどを挙げている。


また、特急「サンダーバード」の利用者も前年より6%、特急「しらさぎ」の利用者も4%増加したほか、金沢と和倉温泉を結ぶ特急「能登かがり火」はおよそ5100人、率にして38%と大幅に増え、JRは地震からの復旧が少しずつ進んでいる表れとみている。

在来線のみだった頃は、車内はおしあいへいあいの大混雑ぶりだったことを思えば、いかに新幹線の輸送力が大きいかがわかる。高速道路がなかった頃と開通した頃との違いのようだ。

2026年1月6日火曜日

しらさぎ、雷鳥時代が懐かしくなった

仕事の関係で長く宿舎住まいをしたが、岐阜市にあった宿舎から山王団地に新築(S56)し転居、そしてまた、能登から両親を向かい入れるために平成9年、現在地に新築したのだが、入居直前で親父が脳梗塞で死去した。

能登の実家は平成8年から令和5年まで空き家だったが、売却する方針として広告したところ、直ぐ買受人があったが、築数十年以上を経ていたので低価格だった。その合なしに地震が発生し、家は全壊は逃れたものの被害を受けた。現在、玄関とガレージの入り口がブルーシートで覆われている。買受人に申し訳ないという気持ちが消えない。

毎年、年末、5月の連休、旧盆には必ず帰郷していた。子供を連れて大きな荷物を持って長時間の旅に耐えた。
正月を実家で迎えた家族が一斉に自宅を目指して列車に乗る写真が掲載されていた。

何年か前まで自分もこんな行列の一員だった

過ぎてしまえば懐かしい思い出なのだが、実際は超満員の列車に押し込まれ3時間以上は耐えたものだった。特に金沢から宇出津間の2時間半の気動車が辛かった。過ぎてしまえば全てが懐かしい思い出である。

2026年1月5日月曜日

30年前の職場の風景

長かった正月休みも4日で終わり、今日5日から仕事始めとなった。年末は27日から昨日まで9日間も休みが続き、ようやく通常業務が開始された。自分が現職だった頃は通常は12月28日が御用納め、1月4日御用始めとなっていた。
御用始めの日は10時、正門守衛室前の広場に全職員が集合して局長の挨拶が行われた。5分程度で話が終わると各課に戻りお神酒が配られ雑談タイム。そして、一人また一人といなくなった。あちこちで囲碁が始まり、やじを飛ばすやからもいた。

仕事始めの通勤者たち

用務に支障がない場合は帰宅自由・・・という放送で昼前後になると殆どが帰った。それからの行く先は課長宅だった。30人前後の課だったから20人ほどが課長宅に押しかけた。
そのため、課長夫人はてんてこ舞い。一応、家にお伺いした者は手ぶらだったから、課長宅は大変だったと思う。
しかし、良き時代だったと思う。幹部クラスの宿舎から少し離れた場所に、一般職員の居住宿舎があったのだが、ここもかなり遅くまで賑やかだった。

翌日からは平常勤務となった。だが、OB達が入れ替わり立ち代わりやって来て雑談、仕事に手がつかない時もあった。
今から30年以上も前の正月風景だった。