何と43人が移住し「力になりたい」という。
何と奇特な人達だろうか。そんな人の話を聞いたり、姿を見れば、萎えた気持ちにエネルギーが蘇ってくると感じる。
地元の子どもと交流する、珠洲市へ移住した
北村さん(中)と笠原さん(左)=珠洲市飯田町
昨年の能登半島地震発生後、奥能登4市町へ移住した人は少なくとも43人に上ることが1日、北國新聞社のまとめで分かった。震災と豪雨の二重被災に苦しむ奥能登の「力になりたい」という人が多く、ゆかりのない土地で起業を目指す若者もいる。人口流出が続く被災地に居場所を見いだした人々は、貴重な働き手や復旧・復興の担い手として地域で存在感を放ち始めている。
震災後の移住者数を市町別でみると、能登町が20人(3月末時点)、珠洲市が16人(2月末時点)、穴水町は7人(3月末時点)だった。輪島市は移住者を把握できていない。
能登町によると、移住者の多くは、町内を拠点として活動する災害復旧ボランティア団体の関係者だ。町定住促進協議会の担当者は「住民票を能登町に置き、地域に根付いて復興を手伝いたいという人が多いのではないか」と推測した。
市内企業への就職を移住支援の条件とする輪島市では震災後、制度利用者がおらず、移住者を集計できていない。震災前は例年30人前後が利用していた。県立輪島漆芸技術研修所の研修生は移住者集計の対象外で、市の担当者は「住民票を移さずに輪島へ移った人なども考えられ、実際には移住者がいるだろう」(まちづくり推進課)とみている。
県民はそんな移住者に深く感謝の意を表せねばならない。