2026年4月23日木曜日

欲に目がくらんだギャンブラーか

 そんな馬鹿な・・・と思う記事があった。中学校PTA会費等1500万円 PTA会計担当者が偽造、2年間にわたって着服 石川・金沢市 PTAが警察に相談 とタイトルされた記事だった。
PTA会費の1500万円らしいが、それにしても中学のPTA会費の額が大き過ぎ。使途は何なのか気になるところである。
そしてこの犯人の会計担当者の肝がでかい。額の桁が違うではないか。

なんでも、会計引き継ぎで偽造と着服が発覚したという。2025年度からのPTAの会計の引き継ぎが遅れていたことから原因について調査を進めたところ、一部の偽造と着服が判明したという。会計担当者が着服・・・。何と凄い担当者がいたもんだ!よくぞそんな大金をガメたもんだと感心した。

4月20日の夜、大徳中学校で、在校生や卒業生の保護者らを対象にした説明会が開かれ、PTAの現在の会長と2024年度の会長から、会計担当者が着服していた事実が報告されたという。
PTAの会計担当者の着服は2024年度と2025年度の2年間にわたって、およそ1500万円に上るという。
着服金の一部、およそ300万円は返金されたという。金沢市教育委員会は、2026年1月下旬に、大徳中学校のPTAから「会計に使途不明金があった」と相談を受けていた。

この犯人は推定するところ、きっとちょっとしたギャンブラーだろう。そのうち返せると踏んでいたのが、どんどん深みに嵌っていってしまったという筋書きが見えてくる。欲に目がくらんだ人間のなれの果てといえるのではなかろうか。

2026年4月22日水曜日

小木港沖にシャチなんて聞いたことない

能登線の建設工事をしていた昭和36年に小木工事区勤務を命じられた。事務所は道の駅ツクモールあたりにあった。その九十九湾の沖合で漁をしていた漁師が、そんなところにいる筈がない「シャチ」3頭に出会ったという。温暖化の影響なのだろうか。

石川県漁業協同組合は4月20日、小木港の底引き網漁船の乗組員が、操業中に遭遇した海洋生物の動画を公式Xに投稿。注目を集めているという。
小木港は富山湾に面した能登町に位置し、全国有数のイカの水揚げ量をほこる。
小木港の底引き網漁船の乗組員が遭遇したのは、イルカやクジラではなく、最強の海洋生物とも言われるシャチ。公開された映像は、シャチが漁船の目の前まで近づき、並んで泳ぐ様子を捉えている。


石川県漁業協同組合は動画の投稿と合わせて、「能登沖ではかなりレアですね。ロープ引っ張られたり漁師さんはめちゃくちゃ怖かったそうです」と投稿。目視で3頭のシャチが確認され、現場は緊張感が続く状況だったとのこと。
この投稿に対してSNSでは「かなり大きいですね」「うおー、すごい近いですね!」「でっかっ」「貴重な映像ありがとうございました」などといった声が寄せられているようだ。

小木沖にシャチ 3頭、漁船に体当たり
能登町小木港から沖合18キロの海域で20日、底引き網漁をしていた漁師の吉野豪駿(ごうしゅん)さん(27)=珠洲市正院町正院=が近づいてきたシャチを撮影した。石川県漁協小木支所は「この辺りの海では見たことがない」としている。
吉野さんや船主の中干場(なかほしば)賢(まさる)さん(57)=能登町松波=によると、20日午前11時ごろに遭遇した。少なくとも3頭おり、全身を確認できた2頭は体長8メートルと5メートルほどだった。20分間にわたり漁船について泳ぎ、船に体を当てたり、海に入れているロープを引っ張ったりしたという。

吉野さんは「船が沈んだら終わりだと思った。怖かった」と振り返り、中干場さんは「親のシャチが子どもを守ろうとしていたのかも」と想像した。

これからも温暖化が進むと考えられるので、これまでに無かったことが多々発生することが予想される。

2026年4月21日火曜日

黒部渓谷鉄道営業開始!

 黒部峡谷鉄道がトロッコ電車運転再開というニュースがあった。何でも、能登半島地震であちこちやられ、ようやく猫又まで開通したという。これから新緑のシーズン、素晴らしい景色が堪能することができることだろう。何年前か旅行会社が企画したトロッコ電車の旅に参加したことがあった。記録を見ると2009年10月とあったから16年前になる。そんなに経ったのかと・・・

トロッコ電車始発駅の宇奈月駅

黒部川に沿って上流に向かう

冬季運休していた黒部峡谷鉄道のトロッコ電車が20日、宇奈月―猫又間(11・8キロ)で営業運転を再開し、観光客が残雪と桜、新緑の峡谷の眺望を堪能した。初日の乗降客数は3258人で、担当者によると台湾・韓国からの訪日客の姿が目立った。4、5月の予約はコロナ禍以降最多で、昨年より4万1千人多い12万2千人。うち外国人は過去最多の4万3千人だった。昨年の客数は57万6千人で、今年は59万5千人を目指す。



能登半島地震で被害を受けた鐘釣橋が復旧し、欅平まで全線再開する時期は10月以降としている。
20日は宇奈月駅で運転開始セレモニーが開かれ、鈴木俊茂社長があいさつ。武隈義一黒部市長と黒部・宇奈月温泉観光局の川端康夫代表理事が祝辞を述べた。宇奈月温泉の女将らが発車を見送った。宇奈月駅から現在の終点猫又駅までは往復約2時間で、11月30日まで運行される。

今年中に終点の欅平まで全通するというが、黒四ダムまで行けるようになるという話しはどうなったのかなぁ。

2026年4月20日月曜日

逆走衝突事故

今朝のニュース記事を見てこんなタイトルが目についた。
「逆走事故・対向車巻き込まれ、2人ケガ  かほく市・のと里山海道」
のと里山海道で逆走事故だという。自分もいつそんな違法車に会うかも知れないと思とゾッとした。否、自分もいつ逆走車になるかもしれない。

19日、かほく市の、のと里山海道を逆走したクルマが、対向してきたクルマに衝突する事故があり、あわせて2台が巻き込まれ、2人がケガをしたという。
19日午前8時前、のと里山海道の金沢から輪島方向に向かう下り線で、かほく市高松の高松インターチェンジ付近を逆走してきたクルマが、対向してきたクルマに衝突した。この事故で、クルマを運転していた50代の男性と、30代の女性の2人がケガをして病院に搬送された。


警察によると、現場は片側2車線で、乗用車2台と軽自動車1台のあわせて3台による事故となった。警察が事故原因を調べているようだ。事故の影響で、のと里山海道の下り線・高松インターチェンジがおよそ2時間半、通行止めになり、午前10時25分、解除された。

前輪タイヤが破損したようだ

逆走の運転者はたぶん高齢者だろうと思ったが、50代とまだ若い男性だという。逆走の原因は一般道路から高速道に入るときに逆走となるケースが最も多い。入り口でそこが実は出口だと気が付かないのである。自分も一度だけそんな経験をしたことがある。場所は森本インターを降りる時だった。環状線出口と高速入口がややこしい感じがする場所である。今後、細心の注意を払って確認のうえ出ることにしよう。

2026年4月19日日曜日

童心に帰った28年前

 ついこの間のように思っていた日からすでに28年も経過したとは思いもよらなかった。
その日に何があったかというと、子供の頃から知っていたディズニー漫画の娯楽施設ディズニーランドへ行った日だった。娘の発案で一緒に出掛けることにした。今でも混んでいるが、その日も非常に込み合っていた。

ワクワクしながらゲートを通った
漫画で見覚えある街並みの施設には全て入ってみたかった。

何だかワクワクしそうな施設が見えてきた

そういえばまだ50代半ばになったばかり
洞窟に入って薄暗い場所から小舟に乗った。その小舟が急な崖に真っ逆さまに・・・
びっくりしたなぁ。童心に帰って心から楽しんだ。
前日、お台場に初めて行った。

都心と全く違うお台場を楽しんだ
長年勤めた組織が解体されるというので退職し、4月から家から通勤できる組織に再就職して間もない頃だった。それから28年、喜び、悲しみ、実にいろいろあった。

2026年4月18日土曜日

内灘大橋のライトアップ

金沢医科大の北側に河北潟放水路に架かる内灘大橋がある。この橋は平成13年9月に開通した。
内灘大橋は河北潟に飛来する白鳥と石川県の冬の風物詩である雪吊をイメージしている。
日本海側唯一多色のカラー照明によるライトアップを採用し、季節によって照明の色を変えている。そのため、金沢市街地からもその姿を眺めることができ、新たな観光地として注目を集めている。

内灘大橋

しかし、落雷による故障や必要部品の製造中止などの影響で約20年前から「放置」されていたが、総額3億5千万円の復活計画が国の交付金事業に採択されたという。2028年に再点灯する。能登半島地震による液状化被害の傷跡が今も残る中、復興のシンボル、観光誘客の起爆剤として町に希望の光をともすことになる。


この橋は2009年にはNPO法人地域活性化支援センターから恋人の聖地としての認定を受けた。また、認定を記念して内灘大橋が見渡せる内灘町総合公園に、「幸せへの鐘」とモニュメント「ダブルハート」が2010年に設置されている。

すぐ隣に医科大があり、腎癌手術の継続観察や皮膚科等に現在も通院中である。能登半島地震で河北潟に架かる橋が損壊したままなので、大回りして通院を余儀なくされている。斉田大橋が開通し、この内灘大橋が復旧したらそちらを通るのを楽しみに待つことにしよう。

2026年4月17日金曜日

驚きの決意

能登半島地震が発生した時、千枚田の観光中だった愛知県の人が千枚田の跡継ぎになったというニュースを見て感動した。話題の人は酒井和也(44)さん。地震発生間もない頃から珠洲や輪島でボランティアとして復旧作業に携わってきたという。
そして仲間たちと復旧作業を続けていく中で、能登の人たちのやさしさに触れ能登に住むことを決意したという。

千枚田

酒井さんは独身の身だと思うが、能登の人々の人間性に触れてここに住みたいと決意された。

酒井和也さん

自分が44才の時は昭和61年だから金沢に家を新築して数年を経たころ。子供たちは中学生と小学生の頃だった。そんな頃に移住するということは全く考えられないと思った。

今後は、いい人を見つけて、ご一緒に能登のためにご尽力されることを祈念したい。