平成10年に勤務箇所が廃止されることが発表されたことから、全職員に今後についての意向調査が実施された。単身赴任が長く続いていたので、県内で就職できればと考えていた。本社幹部から県に話をしたから面接に行くようにと指示があって面接を受けた。その結果、県のある機関に就職することができた。その翌年、関係機関の全組織懇談会が芦原温泉で開催されることになり、出席するよう指示があった。
全参加者は100人前後に上り、大宴会が開かれた。このような参加者の多い宴会は最初で最後になった。この機関の勤務は60歳定年で、それ以降も臨時職員として継続することにした。給料は大幅ダウンしたが、60歳から年金を受給することにした。もちろん年金は大幅カットされた。給料は初任給と同等額となって大幅ダウンした。そして4年が経過し、構造物の詳細設計図をパソコンでチェックしていたのだが、目が非常に疲れ始めて、休憩タイムに外の景色を眺めると、電柱が2本に見えてきたので、64才で退職することにした。
それからやがて18年、考えてみれば64からまだ10年は一人前の仕事ができたなぁ・・・と。