2025年7月2日水曜日

今年の土地価格を公表(金沢国税局)

県内の宅地価格は平均0.7%プラスで4年連続の上昇!

金沢国税局は1日、相続税や贈与税の算定基準となる2025年1月1日時点の路線価(1平方㍍当たり)を公表し、県内の標準宅地の平均変動率はプラス0・7%(前年プラス1・4%)と4年連続の上昇となった。能登半島地震や北陸新幹線敦賀開業の影響を反映した初めての公表で、観光客が増加傾向にある金沢駅前は24年ぶりに100万円を超えた。一方、被災地の輪島の下落率は全国で最も大きかった。
それはやむを得ないことではある。


 
県内は北陸三県で唯一のプラスだった。県内5税務署管内別の最高路線価は金沢、小松、松任が上昇し、七尾、輪島は下落。「南北格差」が一段と鮮明になった。
石川県内で最も高かったのは金沢駅東広場通り(金沢市堀川新町)の102万円(前年94万円)で、3年連続で前年を上回った。都道府県庁所在地の最高価格地点との比較では前年と同じ17位で、伸び率は8位(前年12位)だった。インバウンド(訪日客)の増加や都心軸で相次ぐホテル開発などが影響したとみられる。

4年連続プラスとなったというが、バブルの頃とはまだまだという感じ。何かの事情で所有する土地を売る人は別だが、そうではない人は「ふーん」というだけだろう。

2025年7月1日火曜日

これは驚き高州園廃業

今朝のニュースで知ったのはあの高州園が廃業するという。能登の一大観光ブームで大繁盛したあの高州園である。往時は、連休ともなると、輪島駅前はバスに乗る観光客で長い長い行列ができた。そうした中、TVでコマーシャルするホテルは和倉・山代・山中・片山津といえども高州園だけだった。

高州園
コマーシャルは何本かあったが、中でも印象に強く残っている映像がある。父親が子供と一緒にTVを見ていたシーンだったが、突然TVの画面が破壊され水が噴き出した。その水の勢いは凄まじく、噴き出した水は子供の顔面を容赦なく襲い、ブリまで出てきたのだった。

それでも泣かなかった!
あらかじめ、そうなるよと予告してあったのかもしれないが、それにしても何と我慢強い男の子だったろうと感心した。

それからうん十年、今ではきっと立派な人生を送っておられることだろう。

2025年6月30日月曜日

「県出身者の55年ぶりの横綱」のパレードで新聞は大の里一色

今日の朝刊は大の里一色という感じである。横綱は県出身者で半世紀に一人しか出ないとあって、昨日のパレードでは3万7千人の人出で埋まったという。

大の里の笑顔は最高
大相撲夏場所で4度目の優勝を果たし、第75代横綱に昇進した大の里が29日、故郷の津幡町で優勝パレードを実施。約1・2キロのコースで、約3万7500人の町人口にほぼ並ぶ3万7000人(町発表)から祝福された。

力作の応援グッズ

親方も並んで手を振った
昨年7月に初優勝後、新関脇として同様のパレードを行った際は2万5000人。所要13場所の史上最速昇進を果たし、明らかに沿道の人数、熱気が増した。大の里は「これからが大事」「声援を力に変えられるよう頑張りたい」と名古屋場所(7月13日初日、IGアリーナ)への意気込みを口にした。

沿道はぎっしり埋まった

確か去年もパレードしたが
それより2千人多い人出
パレードのゴール地点である同町の文化会館の屋外ステージでは、続けて津幡町町民栄誉賞、石川県県民栄誉賞の授与式が行われた。矢田富郎町長の祝辞に続き、馳浩知事は万歳三唱を敢行。見守った町民とともに大声で大の里を祝った。

県民・町民「栄誉賞」を受賞した
もうすぐ名古屋場所。当然、「優勝」を狙って頑張ってもらいたい。

2025年6月29日日曜日

いよいよ都ホテル跡地の開発が動き出すか

金沢駅前にあった都ホテルの建物が撤去されて何年過ぎただろうか。
それがここにきて、ようやく再開発の動きが活発化しようとしている。

都ホテルの跡地にどんな建物が建つのか

金沢市中心部( 金沢駅から片町にかけて)  について、政府は27日の閣議で「都市再生緊急整備地域」への指定を決めたという。民間の事業者が金融支援や税制上の特例を受けられるようになり、再開発が進むと期待される。金沢市は金沢駅から老朽化したビルが立ち並ぶ、片町にかけての都心軸の再開発に向けて、「都市再生緊急整備地域」の指定を国に申請していたが、27日午前の閣議で指定が決まった。

さて、近鉄はどんな構想を描いているんだろう

これにより民間の事業者は金融支援や税制上の特例などが受けられるようになり、より柔軟な開発が可能となる。指定されたエリアは、金沢駅から武蔵ヶ辻、片町までの59ヘクタールで、都ホテル跡地や建て替えが予定されている金沢エムザ、旧日銀金沢支店跡地、2026年3月に閉鎖される商業施設、「プレーゴ」などが含まれている。

緊急整備地域に指定されたエリア内では、高さ制限や容積率などの規制を撤廃する「都市再生特別地区」も指定できるようになり、金沢市は、都ホテル跡地周辺で高さ60メートル以上の建物も建設できるよう、今後は「都市再生特別地区」の指定も目指すことにしている。

金沢の一等地が7年間もほったらかし。洗練された建物としてほしいものだ。

2025年6月28日土曜日

テレビが普及し始めた頃

昭和32年春に関西方面に中学の修学旅行に行った。その頃、テレビが普及し始めたが、宿泊した旅館では、大勢でテレビを見ていた。33年春に能登の実家にテレビが据え付けられた。受信する放送局は富山。金沢の放送局の受診は2、3年程遅れた。

昭和33年東京タワー建設の模様

年末の紅白歌合戦では、近所の人たちがテレビを見に来ていた。

こんな写真を見つけた
当時、わが家もこんな風景があった

年末には欠かさず見ていた紅白歌合戦はここ数年来、内容が随分変わってしまったため見たいという意欲は無くなってしまった。
今では、若い人たちはスマホに目を奪われ、テレビに目もくれない時代になった。

あの頃の時代に戻りたいなぁ。

2025年6月27日金曜日

不思議な御縁

人生には不思議な出来事がある。昔、高校の修学旅行で宮島に行った。その何年後かに宮島の対岸に転勤になり、公務で宮島へ工事の安全祈願に行ったり、その何十年後かに再び公務で訪れ、13年前にも二人の孫と観光で訪れた。何だか不思議に思う。

最初はS35年3月の修学旅行だった

職場(広島新幹線工事局大野工事区)全員で工事の安全祈願

県内に転職後、研修旅行で訪れた

孫二人と萩、秋芳洞、錦帯橋を観て宮島へ

このほか、宮島の対岸にある大野町に在住していた際には子供も連れて毎年訪れた。
しかし、大鳥居の下まで行けたのは孫と行った時の1回切りだった。自分にとっては摩訶不思議な宮島である。

2025年6月26日木曜日

金沢の大正から昭和の風景

金沢の歴史はおおまかに知っているつもりだが、いささか心もとない。つい最近だがネットで大正から昭和にかけての金沢の変遷を見ることができた。

江戸時代から人口が10万人前後で推移したという
明治初期まで10指に入る大都市だった

空襲が無かった理由が不明
原爆候補地という話は聞いたことがあるが・・・

改築前の浅野川大橋と思いきや「小橋」だった
この人だかりは何なのか不明

 通称「尻垂坂」拡幅前の状態
右側は兼六園

左側は旧国立病院
石引方面

現在の風景も100年後には随分変わるに違いない。