2025年12月27日土曜日

三つ揃いの化粧まわし

中学の同窓生から大の里が化粧まわしをプレゼントされたという。相手は能生中学の同窓生だとか。
以下、記事から
大の里は昨日(26日)、茨城県阿見町の二所ノ関部屋で化粧まわしの贈呈式に臨んだという。化粧まわしを贈った医療法人アグリー(茨城県つくばみらい市)の伊藤俊一郎理事長(46)は、大の里と同じ糸魚川市の能生中卒で、大の里は「身が引き締まる思い。これをつけて1月場所から頑張りたい」と話した。

化粧まわしは三つぞろいで、伊藤理事長の実家が養鯉場を営むことから、目の玉にヒスイをあしらった錦鯉がデザインされた。
伊藤理事長は昨年、大の里と筑波大附属病院を慰問したとし「患者さんが涙を流して喜んでくれていた。横綱と一緒に彩りを届けていきたい」とあいさつした。大の里は「新潟の6年間が今の自分に大きな影響を与えた。しっかり頑張りたい」と語った。この日は、新しい綱を作る「綱打ち」も行われた。

能生中の同窓生からプレゼントの化粧まわし

このような化粧まわしは高額品に違いないだろう。横綱にふさわしいデザインのようだ。すでに何枚もプレゼントされているはずだが、TVの放送で見ることが出来るといいのだが・・・

2025年12月26日金曜日

今朝7時からの積雪にびっくり

 今朝7時ごろから降り出した雪だが、すごい勢いであたり一面が白色に覆われた。この降りは尋常じゃない。余りにも急な降り方で散水消雪が機能停止しているではないか。ひょっとして年内の積雪はないかも・・・という思いは一蹴された。

家の前の市道も散水消雪システムが機能停止している

狭い中庭も積雪した

例年この時期の積雪は滅多にない。この冬は雪が多いのかと心配になった。

一昨日は町内の公園がこんな風景だったのに

毎年この時期は一生懸命に年賀状を書いていたが、今年から取りやめることにした。昨年の同年輩たちからの年賀状に高齢になったため次から出さない旨の連絡があったので、自分もそうすることにした。年賀状の交換は小学3年生くらいから始めた。七十数年間、せっせと書いてきたがその労力は必要が無くなった。

少し淋しい気がするが、ま、いいか。

2025年12月25日木曜日

復興第一弾

和倉温泉に海側に沿った旅館群があるが、その海側の護岸が地震で破壊された。その復旧工事が鋭意進められているが、その護岸の一部100mが完成したという。そのあたりは埋め立ての敷地に建設された旅館が並んでいるが、どの旅館も被害が甚大だった。この護岸工事が完了しないと旅館の修築が進まない。この100mで2,3棟が復旧できるかも知れない。

和倉温泉では現在までに4,5棟が営業開始したと聞くが、被害が甚大で高層ビルが多数あるので復旧は中々進まないのが現状のようだ。


このあたりの温泉街は過去に数回は利用した場所である。この惨状を見て本当に情けなる思いだ。

地震発生時の被害状況

ホテル従業員の皆さんも、地震発生後からどうされているのか気になるところである。
1日も早い復興を祈らずにはいられない。

2025年12月24日水曜日

80代の誕生日

昨日は自分の誕生日だった。昨日までの1年間はお陰様で病気一つしなくて元気に過ごせたことに感謝である。誕生日といえば忘れられない出来事があった。下の娘が1年生の時に書いた作文を思い出さずにはいられない。
作文
私のおとうさんの誕生日は皇太子殿下と同じでめでたいです。おねえちゃんは1月2日のお正月でめでたいです。わたしはみちこ妃殿下とおなじでめでたいです。おかあさんは9月3日のどらえもんとおなじでめでたいです。
先生の評 それはめでたい家族ですね。・・・と。

これを読んで大笑いしたことがいつも誕生日になると思い出してニタリとしてしまう。
そして、どらえもんの誕生日が9月3日だとは知らなかった。


「誕生日」を検索したらこんな記事が
生まれてきたこと自体が、すでに誰かの幸せの理由になっています。「年齢は数字、心の輝きは選択。」

何歳であっても、どう生きるかは自分次第。心を磨くほど、人生は光ります。「誕生日は、過去を抱きしめ、未来を迎える日。」

喜びも涙も、すべてがあなたを形作った大切な宝物です。「あなたの存在は、誰かの希望の灯り。」

気づかないうちに、あなたは誰かの人生を温めています。「今日からの一年も、あなたらしい色で塗り重ねて。」

人生はキャンバス。色を選ぶのは、いつだって自分です。

次の誕生日まで、これらの言葉をかみしめながら毎日を送るとしよう。

2025年12月23日火曜日

地域おこしのお手本

今朝の新聞で目を引いたのは「かほく、年間出生数最多に 流入続き、330人超見通し」という記事だった。現在、県内各地で人口減が著しい。その中で常に目を引くのがかほく市である。かほく市の今年度の年間出生数が過去最多の330人を超える見通しとなったという。子どもの出生後に市内に転入する人も多く、県内で先行して導入した不妊治療費の全額支援などの施策が「若者が住むまち」の定着を後押ししている。

かほく市の人口は2015年度から10年連続で増え、昨年度末時点で3万6231人となった。特に20~30代の移住が多い。これはかほく市の政策によるものである。
かほく市が誕生した2004年以降、出生届の提出人数は08年度に過去最低の241人まで減少した。


これに危機感を強くした市が対策に乗り出したという。一体どんな秘策があったのだろう。
市内で住宅を新築・購入する45歳未満を対象に最大215万円を交付する「若者マイホーム取得奨励金」、新婚世帯に家賃を補助する「新婚さん住まい応援事業」などを打ち出してきた。
こうした取り組みに加え、大型商業施設の誘致や道路整備、子ども向け屋内運動施設の開業も実を結び、18、23年度の出生数は最多の313人となった。

何と、どこにもやっていない政策が実行されている。当局の熱意が伝わって来るではないか。

2025年12月22日月曜日

東京駅北口横断歩道の突き当り

古い写真を見ていたら1枚の風景写真に目が留まった。東京駅北口とその突き当りのビルが写っている。この写真を見ていると次々と思い出がわいてくる。

先ずもっとも古い記憶は、国鉄に就職して昭和36年4月に国鉄本社ビルへ見学に行った時のこと。中央の白い建物の玄関を入ると、2台の大型コンピューターが据え付けてあった。IBM社製だと思うのだが、機器は畳半畳くらいの大きさがあり、上部にテープがくるくると回りながら稼働していた。当時の初任給が1万円前後だったが、その値段は2千万円前後だと聞いた。すぐ傍の部屋では、20人前後の若い女性たちがせわしくタイピング作業をしていた。

現在は全く風景が様変わりした

その様子を見て、事務処理作業の最先端だと思った。
随分後になって聞いた話だが、そのコンピュータ能力は自宅で使っているノートPCよりはるかに劣ると聞いてびっくりした。

もう10年ほど前の話になったが、二人の孫たちと東京へ旅行したことがあった。そして思い出深い北口に至る横断歩道を渡って東京駅裏手を回り表へと戻ってきた。数年前には皇居も見学したが、もう一度、北口横断歩道を渡ってみたい。

2025年12月21日日曜日

和倉温泉駅開業100周年記念式典

和倉温泉駅が開業100周年を迎え、地元温泉旅館等関係者が記念式典を催行したという。和倉温泉の旅館群は地震災害で大きなダメージを受け、現在も大半の旅館が休業中となっている。


能登観光の拠点となっている和倉温泉駅が今年開業100周年を迎え、関係者による記念式典が20日、行われた。
記念式典にはJRの社員や旅館関係者などおよそ80人が出席した。七尾市石崎町にある和倉温泉駅は1925年に和倉駅として開業し、JRとのと鉄道の共同の駅として地元住民や旅行客に長年親しまれてきた。

和倉温泉に初めて行ったのは昭和29年小学校の修学旅行であった。泊まった旅館は大徳館だった。今はもうその名称はなくなったようだ。

金沢に1泊した翌日、和倉温泉大徳館で宿泊した

その15年後、新婚旅行で1泊した。
そして同窓会や町内の旅行会で度々訪れている。
1日も早く被災された皆様の営業再開を待ち望んでいる。