2025年12月23日火曜日

地域おこしのお手本

今朝の新聞で目を引いたのは「かほく、年間出生数最多に 流入続き、330人超見通し」という記事だった。現在、県内各地で人口減が著しい。その中で常に目を引くのがかほく市である。かほく市の今年度の年間出生数が過去最多の330人を超える見通しとなったという。子どもの出生後に市内に転入する人も多く、県内で先行して導入した不妊治療費の全額支援などの施策が「若者が住むまち」の定着を後押ししている。

かほく市の人口は2015年度から10年連続で増え、昨年度末時点で3万6231人となった。特に20~30代の移住が多い。これはかほく市の政策によるものである。
かほく市が誕生した2004年以降、出生届の提出人数は08年度に過去最低の241人まで減少した。


これに危機感を強くした市が対策に乗り出したという。一体どんな秘策があったのだろう。
市内で住宅を新築・購入する45歳未満を対象に最大215万円を交付する「若者マイホーム取得奨励金」、新婚世帯に家賃を補助する「新婚さん住まい応援事業」などを打ち出してきた。
こうした取り組みに加え、大型商業施設の誘致や道路整備、子ども向け屋内運動施設の開業も実を結び、18、23年度の出生数は最多の313人となった。

何と、どこにもやっていない政策が実行されている。当局の熱意が伝わって来るではないか。

2025年12月22日月曜日

東京駅北口横断歩道の突き当り

古い写真を見ていたら1枚の風景写真に目が留まった。東京駅北口とその突き当りのビルが写っている。この写真を見ていると次々と思い出がわいてくる。

先ずもっとも古い記憶は、国鉄に就職して昭和36年4月に国鉄本社ビルへ見学に行った時のこと。中央の白い建物の玄関を入ると、2台の大型コンピューターが据え付けてあった。IBM社製だと思うのだが、機器は畳半畳くらいの大きさがあり、上部にテープがくるくると回りながら稼働していた。当時の初任給が1万円前後だったが、その値段は2千万円前後だと聞いた。すぐ傍の部屋では、20人前後の若い女性たちがせわしくタイピング作業をしていた。

現在は全く風景が様変わりした

その様子を見て、事務処理作業の最先端だと思った。
随分後になって聞いた話だが、そのコンピュータ能力は自宅で使っているノートPCよりはるかに劣ると聞いてびっくりした。

もう10年ほど前の話になったが、二人の孫たちと東京へ旅行したことがあった。そして思い出深い北口に至る横断歩道を渡って東京駅裏手を回り表へと戻ってきた。数年前には皇居も見学したが、もう一度、北口横断歩道を渡ってみたい。

2025年12月21日日曜日

和倉温泉駅開業100周年記念式典

和倉温泉駅が開業100周年を迎え、地元温泉旅館等関係者が記念式典を催行したという。和倉温泉の旅館群は地震災害で大きなダメージを受け、現在も大半の旅館が休業中となっている。


能登観光の拠点となっている和倉温泉駅が今年開業100周年を迎え、関係者による記念式典が20日、行われた。
記念式典にはJRの社員や旅館関係者などおよそ80人が出席した。七尾市石崎町にある和倉温泉駅は1925年に和倉駅として開業し、JRとのと鉄道の共同の駅として地元住民や旅行客に長年親しまれてきた。

和倉温泉に初めて行ったのは昭和29年小学校の修学旅行であった。泊まった旅館は大徳館だった。今はもうその名称はなくなったようだ。

金沢に1泊した翌日、和倉温泉大徳館で宿泊した

その15年後、新婚旅行で1泊した。
そして同窓会や町内の旅行会で度々訪れている。
1日も早く被災された皆様の営業再開を待ち望んでいる。

2025年12月20日土曜日

山環に接続はまだ時間がかかりそう

 昨日の県内は高気圧に覆われて晴れ、すっきりとした青空が広がった。道の駅内灘サンセットパークでは、立山連峰がくっきりと姿を現し、続々と訪れた人が絶景に見入ったという。

医科大付近の展望台から立山連峰が丸見え

過去にこの付近で立山連峰をこの目で確かめたのだが、この写真のように端から端までは見ることはできなかった。

さて、昨日も好天だったのでウオーキングに出かけた。家の至近距離にある交差点を右に進み、レンコン田に出た。すぐ近くにレンコンの無人直売所がある。格安なので二人の来客があった。

無人のレンコン販売所

すぐ近くに孫4人がお世話になった慶応幼稚園の前を通って、レンコン田の農道に出た。

慶応幼稚園
4人の孫たちが連続して13年ここに通園した

途中、レンコン田の前で1台の車が停車して人が降りたので、少し話をしてみることにした。地元の横枕の人だと思ったら八田から来たという。このレンコン田は借地、以前は河北潟でレンコンを栽培していたが、ここで始めたのだという。河北潟は水の中、ここは泥の中で仕事は大変だが、レンコンの値段が格段に良いところ。頑張ってもらいたいものである。

海環の千木橋桁工事中

このスペースは山環今町インターに繋がる海環

ということで、昨日も好天のウオーキングを楽しんだ。

2025年12月19日金曜日

冬期にはめったにない昨日も今日も澄み切った青空

昨日は朝からスカッとした快晴に恵まれた。午後は30分ほど、小学生の下校みまもりの旗振り安全誘導、いつもと違って先生が引率しての集団下校だった。そのあと、この晴れ間は滅多にないことなので、外回りの清掃作業をすることにした。ガレージシャッターから始めたが、これまでにはなかったレンガ積み塀の壁面に汚れがあったので、ブラシ等でごしごしやったが中々きれいにならなくて手こずった。玄関回りの内外、居間から奥の部屋までのガラス窓をすべて水で洗った。

    夕日(昨日)に照らされた白山

そして今朝は夜明け前から晴れ渡った。
2階から青空と中庭まで写真を撮った。この角度から写真は撮ったことがない。これからもないと思われる。

右上の白い建物は興能信金の寮

寮以外の建物はわが家も含め平成8年以降に建てられた。それ以外の住宅は昭和38年以降に宅地開発され、現在では280世帯が居住する団地となった。全て水田の風景が広がっていた場所である。4,5年前までしゃれたレストランが2店舗あったが無くなったのが淋しい。

2025年12月18日木曜日

高級品のかぶらずしを横目に大根ずしに

 今朝の朝刊にかぶらずしの漬け込みが最盛期になったという記事が掲載された。「かぶら寿司」は塩漬けしたかぶらの輪切りに鰤の切身を挟んで麹に漬け込んで発酵させた「なれずし」なのだが、高級品でなかなか口に入らない。
かぶらずしはブリとかぶらで作られるが、高級すぎて手が出ないのだが、吾々の口に入りやすいのが大根寿司である。

かぶらずし

原料のかぶらやブリは、かつては収穫時期が限られ貴重で高価だった事から、入手しやすい吾々としては大根と身欠きミシンで作る大根ずしの方が、より広域で作られてきた。

これがなじみの大根ずし

17日の県内は低気圧や寒気の影響で曇り、雨となった。最高気温は金沢13・1度、輪島9・7度と11月下旬から12月中旬並みとなった。今年創業100年を迎えた金沢市野町5丁目の「かぶら寿し本舗かばた」では、金沢の冬の味覚「かぶらずし」の漬け込みと出荷が最盛期を迎え、従業員が手際よく作業を進めたという。

今日は久しぶりの晴れ。明日も晴れ、心も晴れだ。

2025年12月17日水曜日

気多大社の鵜祭り

昨年は気多大社の恒例行事である鵜様が捕獲できなくて鵜祭りは中止になったが、今年は幸いにして4日前に捕獲に成功したので、昨日の未明に鵜祭りが施行できたという。 

午前3時過ぎから鵜祭りが執り行われた

平安時代から今日まで続いている伝統行事で、鵜を捕獲する担当、4日間かけて神社まで運搬する担当と役職が何百年と引き継がれ今日に至っている。
祭礼は鵜を祭壇に放ち、その動きで来年はどのような年になるかを占う行事である。

大役を果たし大空へ帰った鵜様

考えてみると、この行事に関わっておられる大勢の方々の大変な努力が集積されている。
鵜の捕獲される方々は子々孫々に受け継がれているという。いつまでも続いて欲しいと願わずにはいられない。