2025年12月12日金曜日

20年ぶりの街角年金相談センター

今朝9時に年金相談センターへ行ってきた。用件は年金の扶養家族申請がこれまで12月初旬頃に郵送されてきたペーパーの記入で提出していたのだが、今年からはがきの案内でスマホかパソコンで申請するよう指示されたのだが、少しやってみたが中々面倒なので、今年も紙の申請にしたいとその相談に行った。

受付に事情を話してペーパー申請したいと告げたら、用紙を渡されたので、住所氏名等を記入して提出した。去年まで手書きで申請していたのに何故かスマホ等による申請に指示された経緯を話した。申請方法がいきなり変更になった経緯はわからなかったが、まずは一件落着となり安心した。

鳴和の事務所は20年ぶりに行ったのだが、受付等の配置は昔のままだった。昔の相談用件は、失業保険金がどれだけ出るのか聞きたかったからである。当時、失業保険金は再就職すると支給対象外となったので、その後、どうするか判断するためだった。結局、失業保険金は受給とりやめとし、年金受給を開始した。確か、失業保険金と年金額が同等だったと思う。それなら年金を受給開始するとなった。

あれから20年もたったのか・・・と、年月の過ぎ去る速さが身に染みた。

2025年12月11日木曜日

2か国目の海外旅行

アジア大陸の先っぽ、マレーシアに旅行したのは32年前だった。50になったばかりの頃になるが、それから30年を超えた。実はこの海外旅行は、ヨーロッパへ行く予定だったが、仕事の都合で長い休暇は取れないという話しがあって、シンガポール方面に急遽変更した。
シンガポールを巡った後にマレーシアに渡った。

ジョホール海峡の対岸はシンガポール

ジョホールバルの娯楽施設で

どういう訳か記念写真は現地女性と

マレーシアからシンガポールに通勤している人の多いのに驚いた。海峡に渡る橋のシンガポール側には入出国管理事務所があって、かなり込み合っていた。

確かこのころは伊丹空港からシンガポールに向かった。今では関空がメインになるのだろうかと気になった。

2025年12月10日水曜日

あと3年で廃線20年とは

 もう2週間足らずで満83を迎える。1年の過ぎ行く速さに驚くばかり。しかし、お陰様で元気に過ごすことが出来た。アルバムを見ていたら宇出津駅で移した写真が目に飛び込んできた。その写真は平成16年6月に宇出津駅で写したものだった。この日、同級生3組の夫婦で能登線乗り納め会をした。昭和36年4月に就職したのだが、7月に能登線建設を担っていた小木工事区へ転勤となり、昭和38年10月、宇出津~松波間営業開始に伴い岐阜市にあった本部に転勤となった。

そして平成17年3月を以って能登線廃止が決定したため、乗り納がしたくて同級生2人に話したところ、夫婦そろって6人が乗り納めをすることになった。

宇出津から蛸島行に乗車した

昭和36年から3年間、宇出津から珠洲上戸間の軌道敷設工事に従事した。

昭和38年7月、宇出津~松波間開業に向け、Ⅽ58による
踏み固め試運転の蒸気機関車最前部で安全確認の任務に就
いた。工事関係者は制帽が重いためハンチングを冠っていた

乗り納会に付き合ってくれた5人の方々に深く感謝するばかりである。

2025年12月9日火曜日

エッ、なんで朗希が珠洲に?

 今朝の朝刊を見て「あれ!朗希が何で?」と思わず記事に集中した。写真に朗希が!昨日(7日)、珠洲市蛸島町の球場で開催された野球教室。そこに朗希が現れたという。ロサンゼルス・ドジャース 佐々木朗希選手:「短い時間ですが、よろしくお願いします!」今年、球団史上初となるワールドシリーズ2連覇に大きく貢献したロサンゼルス・ドジャースの佐々木朗希投手である。


あの佐々木朗希が珠洲に現る!

岩手県出身の佐々木投手は小学3年生の時に東日本大震災を経験。当時、プロ野球選手やOBが被災地で開いてくれた野球教室が佐々木投手にとって忘れられない思い出になったことから今回、能登の子どもたちのために教室を開いたのだという。アメリカからわざわざ能登に
来たのだ。

佐々木投手は参加した能登の小中学生約190人にボールの投げ方などについてアドバイスを送った。
子ども:「メジャーリーガーの野球教室は初めてだったのでうれしいです。身長もでかいし足と腕がめちゃくちゃ長くて「人間なのかな?」って思った。将来は佐々木朗希選手みたいな腕と足が長い選手になって160キロを出したいです。」

佐々木朗希投手:
「まだまだ復興の途中だと思いますけど僕らにできることを考えながら皆さんと一緒に復興に向けて頑張っていけたらと思います。将来大きくなった時に今回のことを少しでも覚えてくれていたらうれしいなと思っています。」

きっと子供たちにとっては生涯わすれることが出来ない思い出になったことだろう。
ドジャースの佐々木朗希を見直した。

2025年12月8日月曜日

宙に舞う30万枚のおみくじ

12月もすでにⅠ/3が過ぎた。去年から年賀状を出さないことにしたので随分楽になった。    昨日は、気多大社で初詣用のおみくじをかき交ぜる恒例行事「みくじ合わせ」が行われ、巫女役の地元中学生11人が参詣者の幸運を祈って約30万枚のおみくじを宙に舞わせたという。中学生はおはらいを受けた後、両手いっぱいに抱えたおみくじを、天井に向けて何度も高く放り上げた。

宙を舞うおみくじ30万枚

巫女役を務めた松田奈子さん(14)は「くじを引いた人が幸せな一年を過ごせるよう願いを込めた」と話した。
くじは50種類あり、新年の吉凶を占う鵜祭(うまつり)の主役ウミウ「鵜様」があしらわれている。気多大社には例年、正月三が日で約20万人が訪れる。

昨日は我が家でも中庭の掃除をした。手水鉢周りは落ち葉の山、手水鉢の後ろに立つ竹の葉を全部切り落とした。小さな灯篭周りには落ち葉がぎっしり落ちていたのでこれを始末。
中庭の外も落ち葉がぎっしりだったので、袋に詰め込んだ。今日は雨模様だから外回りの仕事は休もう。

2025年12月7日日曜日

これで何度目?日本にいやがらせ 

 台湾有事の際の我が国の動き方発言で、中国がしつこく嫌がらせを続けている。今朝の記事によれば、中国空母「遼寧」発艦のJ15戦闘機、空自F15戦闘機にレーダー照射2回…日本政府が中国側に抗議とでかでかと掲載された。6日午後に沖縄本島南東の公海上空で、中国海軍の空母「遼寧」から発艦したJ15戦闘機が、航空自衛隊のF15戦闘機に2回にわたってレーダー照射を行ったという。中国は日本旅行をみあわせるよう国民に通知しているほか、いやがらせをしぶとく続けている。

自衛隊機2機にレーダーを照射!

まかりまちがえば、実弾の交戦状態になっていただろう。そういえば、韓国戦闘機からもこんなことがあった。中国からのしかけでも我が国は冷静沈着に対処したようだ。
中国は国内問題から国民の目をそらせるため、我が国に数々のいやがらせを実行し、国民の目を国内問題山積状態からそらせようと必死なのだ。

二十数年前に北京に行ったのだが、市内を歩いていると若い男性が日本語を教えてほしいと懇願された。しばらくすると、また別の若い衆が同じことを言って懇願された。
そんな時代もあったのだが、今では中国に旅行したいとは微塵も思わない。
以前のトラブルはしばらくして、まるでなかったかのような状態になった。

今度は少し長くなるかも・・・という予感がする。

2025年12月6日土曜日

1回きりだった我が家の田の神様

自分がまだ小学生だった頃、親父が1度だけ「田の神様」の儀式を行った。12月5日だったのだろうと推測するのだが、よく晴れた昼過ぎに、田の風景が広がる後ろの出入り口から田の神様を向かえる儀式が始まった。

あらかじめ聞いていた話では、田の神様は目が不自由であること。裏戸を開けて「ここからお入りください。あぶのうございます、お気をつけてください」と案内していた。神様だから当然姿は見えない。そして風呂場に案内した。風呂場の案内も丁寧に行われていた。しばらくして座敷に案内した。そして、収穫したコメを床の間において座敷には御馳走が並んでいた。子供ながらに緊張しながら親父の行動に注目していた。

最近の田の神様の神事

5反百姓なのにどうして伝統行事をしたのか理由はわからない。しかし、この行事は1年限りだったように思う。

親父の目的は子供全員に能登の行事を覚えさせたかったのだろうと推測している。
食事の接待が終わってしばらくして神様のお下がりのご馳走を食べた。この記憶は七拾数年経た今でも鮮明に覚えている。親父に感謝である。