2025年7月5日土曜日

本来は駆逐艦と運命を共にする筈だったが

子供の頃、囲炉裏端で親父から戦争体験談を何度となく聞いた。満州事変や上海上陸作戦の模様だった。以下、聞いた話だが昭和19年、乗艦していた駆逐艦が台湾の高尾港に寄港した。その時、腹痛が激しくなり海軍病院に入院したのだが、重い盲腸の病になり入院が長引いた。乗艦していた駆逐艦は予定通り出航した。間もなく、乗艦するはずだった駆逐艦はルソン島海域において、アメリカ軍の攻撃により撃沈した。

勤務していた駆逐艦カルカヤの写真を見つけた
もう少しでかい駆逐艦だと思い込んでいたのでがっかり

パソコンで駆逐艦の経歴を検索した。
1923年(大正12年)3月 進水 - (藤永田造船所建造) 進水時の名称は第十八駆逐艦。
8月20日 - 竣工。
1924年(大正13年)4月1日 - 第十八号駆逐艦に艦名変更。
1928年(昭和3年)8月1日 - 刈萱に艦名変更。
1937年(昭和12年) - 日中戦争に参戦。華南沿岸の諸作戦に参加する。
1941年(昭和16年) - 駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛、哨戒作戦に従事する。
1944年(昭和19年)5月10日 - ミ03船団を護衛中、ルソン沖北緯14度50分 東経119度20分でアメリカの潜水艦コッドの発射した魚雷が2本被雷し戦没した。

親父は盲腸で命拾いしたが、自分は盲腸にならなかった。親父は盲腸になったタイミングが絶妙な時期となった。来年は親父の亡くなった年齢に達する。

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