2024年7月5日金曜日

師匠も力が籠った特訓


14日に初日を迎える大相撲名古屋場所に向けて、津幡町出身の新関脇・大の里が稽古に励んでいるという。安城市で宿舎を構える二所ノ関部屋が、4日稽古を公開した。

新関脇に昇進した大の里は、四股ふみなど基本の動きの確認を徹底。
そして、同じ部屋の関取・白熊と何番も相撲を取る「三番稽古」を始めたが、右を差す得意の相撲を見せるなどし順調な調整ぶりをアピールした。
4日の稽古では、10数回にわたり繰り返し自分の動きを確かめた。

白熊相手にくたくた

息つく間もなく、今度は元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方の胸を借り、ぶつかり稽古。体力が限界に近くなっても何度も親方に向かった。

親方の胸を借り体力限界となった

名古屋場所での連覇へ、「今は追い込む時期」と大の里は話した。
大の里「気温が暑くなってきていますし、名古屋場所までもう時間がないのでしっかりと。先場所いい結果が残せたので、細かいところは気にせず一生懸命やります」

7日には地元・津幡町で凱旋パレードが予定されている。
大の里「僕もまさかだったんでびっくりしていますけど、日曜日の夕方ということで、たくさんの人が来てくれることを願っています」
大の里自身は気負いもなく場所を迎えられそうで、快進撃がふた場所続くのか、期待が高まる。応援にますますのめり込むわが身だが、連続優勝だ!

2024年7月4日木曜日

親父のチャレンジはいしり作りだった

5歳か6歳だったと思うが、親父がイカのベト(内臓)を鍋に入れてかき回していた。後で分かったのだが、それはイシリを作っているのだと知った。子供心には魚の腐った匂いだったから、きたないものをかき混ぜているように思えた。
そんなことがあったのを忘れかけた頃、おふくろが「イシリができた」と云った。
それを舐めてみたが、とてもうまいとは言えない代物だった。どこか作り方が違ったのだろう。それ以来、イシリにはご無沙汰となっている。


能登半島地震の被災地で作られる特産品の消費を進めようと、「いしり」や「いしる」と呼ばれる能登地方の魚しょうを使った定食の提供が金沢市で始まったという。
「いしり」や「いしる」を使った定食は、金沢市広坂にある行政庁舎の食堂で提供が始まった。
企画した北陸農政局によると、定食の提供は7月の毎週水曜日に行われ、一般の利用も可能ということで、3日は、炊き込みごはんや白身魚のあんかけ定食が出され、訪れた人たちは独特の風味を楽しんでいた。


農林水産省は、ことし3月魚介類を発酵させて能登地方で作られてきた「いしり」と「いしる」を、地理的表示保護制度に登録し、地域ブランドとしての保護を進めていますが、この制度に登録した11の事業者のうち5か所が、能登半島地震の影響で現在も営業ができない状態だという。
定食を食べた60代の男性は「こくがあって魚介のうまみが口いっぱいに広がります。こうして食べることで応援できるとうれしい」と話していた。

しかし、食べず嫌いと思うが、子供の頃のトラウマが尾をひいて、どうしても食べる気がしない。

2024年7月3日水曜日

大雨なんのその白山の夏山開き

白山は1日、夏山登山シーズン開始を告げる「夏山開き」を迎えた。

大荒れの山開き

こんな写真を見ると、もう21年前の出来事になったが、家族3人で白山に登ったことを思い出した。

室堂周辺を歩いてみた
翌日4時起床で登山開始。天候はあいにく曇り空だった。1時間くらいで頂上に達したが、ご来光を拝む場所はビッシリと人で埋めつくされていた。

白山神社の宮司が頂上に立って日の出に備え待機

ご来光の瞬間、宮司の一声に続いて全員で万歳した。

頂上で証の写真を撮影


ご来光の万歳はいいもんだ。
21年前といえば満60歳。気持ちはその時と全く変わらないが、体の方は徐々に色々と不都合が出てきた。が、それなりにうまく付き合って行こうと思っている。


2024年7月2日火曜日

他界した叔父なら「わっちゃ、見にこいまん」というだろう

今週末の5、6日に開催される「あばれ祭」に向け、地区内の各地で30日、キリコ(奉燈)の組み立てが始まった。 

今年もあばれまいか

多くの町内ではキリコを祭り直前に組み立てるが、一部の町内は若い人が参加しやすいようにと、祭りの前の日曜日に組み立てている。天保島町内では、県漁協能都支所前に朝から住民が集まり、雨が降る中、キリコの部材を縄などで固定し、2時間ほどかけて組み立てた。

どでかい松明もすでに立った

キリコを組み立てる住民=能登町宇出津新

胴部分の「中腹」やちょうちんなどの装飾品は直前に取り付ける。同町内の本蔵利治委員長(70)は「地震があり、今年はもうできんかと思った。会議して一度は見送ろうとなったが、若い人がやろうとしてくれた」と話した。

見に行きたいところだが、道路事情もあるようなのでTVのニュースで我慢しよう。

2024年7月1日月曜日

今も江戸時代の伝統行事

江戸時代からの伝統行事が金沢にある。その伝統行事が昨日30日、湯涌温泉で行われた。


江戸時代には氷は非常に貴重であったため、冬になると「氷室」と呼ばれる貯蔵庫(氷室)
に雪を詰め、保管していた。

1月24日氷室の仕込みが行われた

冬場に氷室小屋に貯蔵した雪を掘り出す恒例の「氷室開き」が30日、金沢市の湯涌温泉で行われた。

氷室開きの儀

氷室開きは加賀藩が徳川幕府に献上する雪をおよそ半年間にわたって氷室小屋に貯蔵したことに由来する行事で、この時期の風物詩となっている。
30日は、朝から雨が降りしきる天気となりましたが、地元の住民や観光客が見守る中、湯涌温泉観光協会のメンバーが氷室の中に詰められた雪や保存した地元産の米、氷室米を取り出した。


「1月からこんなに残っていていっぱい雪がとれてすごいと思った」「触ったら冷たかった」(子供たち)
「こういう形で残っているのはすごい。歴史あるものなのでこのまま続いていくだろう」(観光客)

切り出された雪は、金沢市の他、加賀藩の下屋敷があった東京・板橋区などに贈られる。
主催は湯涌温泉観光協会だが、末永く続けて行って欲しいものである。