パリ五輪でまた日本を救ったGK小久保玲央ブライアン、一家4人がスタンドから応援!「ナイスすぎー!全勝」
パリ五輪のグループステージを3連勝で突破したU-23日本代表。
守護神小久保玲央ブライアンは素晴らしい活躍を続けており、いまだ無失点の堅守を支えている。
若い頃、ポケットに残った100円玉があれば、直ぐパチンコ屋に行った。覚えたてのマージャンに誘われ「いいカモ」になっていたりした。これらはギャンブル依存症というらしい。
かつて3人に1人、20人に1人の仲間だった |
ギャンブルにのめり込む
興奮を求めて掛金が増えていくギャンブルを減らそう、やめようとしてもうまくいかない
ギャンブルをしないと落ち着かない
負けたお金をギャンブルで取り返そうとする
ギャンブルのことで嘘をついたり借金したりする
昨日は前日に続いて強い日差しが照り付けていたので、最終回となる3回目のアンズ干しをした。したといっても自分がしたわけではない。常にする人は決まっている。
6月13日に収穫したアンズは生で食べる分、人にあげる分、アンズ干しにする分と分けた。アンズ干しにする分は瓶にいれて漬けて置き、強い日差しのある梅雨明けを見図ってざるに入れて3日間干す。この干す作業は昨日で最終日だった。
例年より不作のため少ないのが残念 |
満開の石動山ユリ |
研究されて2連敗目 |
大の里は取組後、「(相手のおっつけで)右が伸びてしまった」と話した。まだ大銀杏も結えていないチョンマゲ力士だが、その力はライバル力士も認めるところ。徹底的に研究され、対策を立てられていると言っていい。
ある親方曰く、
「大の里にとっては、入門後に初めてぶち当たった『壁』でしょう。しかし、長い目で見れば悪いことではない。例えば、元大関の朝乃山は大関昇進直後から右四つ対策を取られ、いまだにこれといった打開策を見いだせていない。何年も相撲を取り、自分のカタに凝り固まってしまうと、新しい取り口にチャレンジすることはなかなか難しい。若い大の里なら、いくら丸裸にされても対策を練る時間はタップリある」
そうだ、頑張って行こう!
固唾を飲んで立会いを見ていた。大の里と御嶽海戦である。立会いはまた悪いパターン、強烈な右腕のぶちかましが大の里の持ち味なのだが、どうしたわけか低く構えた御嶽海に全く手が出ず、あっけなく押し出された。これまでも数回ほどあった負けパターンがまた出てしまった。
大の里の右腕を封じた御嶽海 |
定員9600人、入場者数9300人とほぼ満席の金沢ゴーゴーカレースタジアムが、湧きに沸いてなでしこジャパンがガーナ戦に4:0で勝利した。
満席の会場から万雷の拍手が贈られた |
昨日、兵庫県知事がクローズアップされた。この知事の「犠牲者」は1人だけではなかったという。
内部告発文書を配布し、懲戒処分を受けた元西播磨県民局長の男性職員が自殺したことを昨日ニュースで知った。TVで片山安孝副知事が辞職する意向を知事に伝えていたが、責任を問われた斎藤知事は地位に恋々としている。ワシは何もやましいことはしていないと。
さらに実は、別の職員の自殺を隠蔽している疑いが浮上したというではないか。
大阪府の財政課長だった斎藤知事は3年前の2021年に初当選したという。大阪以外で初めて誕生した維新系知事だという。元局長の告発は今年3月のこと。県議会関係者や報道機関に配った文書で、斎藤知事のパワハラや企業からの贈答品受け取りなど多岐にわたる疑惑を列挙。大阪府と県が連携し、大阪・関西万博のPRにまんまと政治利用したという。
どうも問題の根源は大阪万博にあるようだ。
運営費5億円はクラウドファンディング(CF)と協賛金で捻出。しかし、CFは思うように集まらず、協賛金獲得のために各部署の職員が駆り出されたという。
「大阪と兵庫が分担してスポンサーを呼びかけたが、経済規模の違いから、どうしても大阪が先行する。それでも知事は『大阪に負けるな』と県職員にハッパをかけ続けた」という(県関係者)
最近、この手のパワハラがあちこちに浮上している。知事というポストにどっぷり浸かると「俺は何でもやれる」となるのかもしれない。
昨日から甲子園を目指す高校野球が始まった。開会式で七尾東雲高校主将の選手宣誓を聞いていたが、全く素晴らしい宣誓だった。聞くところによると、文章は野球部全員から意見を聞いて、それをまとめて作成されたという。高山昴主将が「地震で野球をすることはおろか、当たり前の生活が送れず余震の恐怖に耐える日々が続いた。全国からの励ましのメッセージや温かい支援にどれだけ助けられたことでしょう。ここからの使命は被災された人、支えてくれた人に勇気と希望を届けること」と力を込めた。何と素晴らしい選手宣誓なんだろうと思わず拍手した。
開会式 |
選手宣誓3年高山昂選手 |
昭和35年度の県大会では、旧兼六園球場で応援リーダーとして決勝戦まで、そして当時は福井の2県で代表権を争って見事初優勝を果たして、晴れの甲子園で応援の声を張り上げた。
あの時の熱い思い出が7月になると思い起こされる。
昭和36年6月、一カ月半の研修中に東京駅北口横断歩道突き当りにあるビルを見学した。ビルの名称は国鉄本社ビル。玄関に入るとキーパンチャーの発するキーの叩く音が聞こえてきた。突き当りの部屋に入ると当時としては極めて稀な空調機が作動し、当時1台が1500万円のコンピューターが2台並んで稼働中だった。現在の自分のPCより能力が低い嘘のような性能だった。女性の職員がズラッと並んでキーをたたいていた。資材関係の入荷状況の調書作成をしていたようだ。この建物の屋上に鉄道神社が鎮座していた。
この神社に参拝 |
本社屋上で記念写真 |
「汚水を出さないトイレ」が被災地で活躍中という記事に、そんな夢のようなトイレってどんなものなんだろうと注目した。そのトイレは能登町の神野公民館に設置されたA.Qトイレだという。
能登空港が開業して21周年になるという。まだこの空港から飛び立ったことはないが、もう数えきれないほど空港には行った。この空港の工事がほぼ完了した頃の5月に柳田の実家の点検に行く途中に空港に寄った。もうすぐ2歳になる孫を連れて行った。この日はほぼ完成した空港の見学会で大勢の見学者がいた。
空港はほぼ完成していた |
搭乗口通路 |
屋上からの眺めは最高 |
空港に連れて行った孫は23歳、院生1年目である。あれから21年、時の速さにうんざりするこの頃である。
親方と二人で津幡町内目抜き通りをパレードし、沿道に押し掛けた2万5千人のフアンを大喜びさせた大の里。去年5月場所にデビューしてあれよあれよという間に小結に昇進。そして先場所優勝!津幡町にとっては前代未聞の出世頭となった大の里だが、前途洋々、名古屋場所も当然優勝候補の筆頭となった。
新関脇・大の里が地元の津幡町で弾丸Vパレード 2万5000人が集まり「うれしい。想像してなかった」。
5月の大相撲夏場所で、初土俵から所要7場所で最速優勝を果たした関脇・大の里(二所ノ関)の祝賀パレードが7日、地元の津幡町で行われた。二所ノ関親方とともに約800メートルをオープンカーに乗り、約2万5000人のファンに笑顔で手を振った。「優勝後初めて津幡町に帰って、お祝いしてもらってうれしかった。想像していなかった。小学校時代から遊んでいた場所でパレードできて感慨深い」と胸を張った。
県警音楽隊を先頭に手を振る大の里 |
約30度の中での晴れ舞台となったが、ファンからは「おめでとう」と書かれたプラカードや多くの声援を受けた。「地元の友達も来ていた」と笑顔で応えた。1月の能登半島地震が石川を襲ったが、「たくさんの暗いニュースがあったけど、夏場所優勝できて、少しばかり明るい話題が届けられたかな」と思いを述べた。「名古屋場所が大事になってくる。頑張る」と名古屋場所へ気合を入れた。
お父さん、お母さんはどこで見物されたのだろう。息子の晴れ舞台を見て感慨無量だったことだろうと想像した。これからも郷土の為に頑張ってもらいたい。何度でも津幡パレードをすべき!
家族の誉れ! |
白熊相手にくたくた |