2016年7月5日火曜日

新幹線建設反対運動

昭和46年、広島県内はほぼ全域で新幹線建設の槌音が響き渡っていた。が、ただ1地域のみ建設反対を叫び、調査のためであっても立ち入り禁止の強硬策を貫いていた。
当時、広島県佐伯郡大野町(現廿日市市大野町)は社会党の町長のもと、全町民一丸となって反対運動を繰り広げていた。
大野町地内
新幹線ルートは帯状に広がる平地を縦断するルートであったため、農地保護、振動騒音公害を危惧し、山間部トンネルとするよう要求した。
反対運動の旗頭は国鉄労組の組合員だった。
だが、廿日市トンネルと大野トンネル西工区(出口)は既に着工しており変更要望を認めることはできなかった。
従って私の業務は、この地域に影響のない大野トンネル西工区と大竹トンネル東工区、その間の恵川橋りょうの計画設計積算に没頭した。

11月に入って大野町と折衝した結果、ようやく和解の方向に向かった。
 11月の半ば、課長から事前通知書が渡された。協議がまとまったので大野トンネルの着工が来月中旬に決まった。で、君に大野トンネルをやってもらいたい。12月1日付で発令すると告げられた。
昭和44年10月着任以降、2年余り本局業務に邁進したが、ひょっとしたら現場業務に従事することなく終わってしまうのではないかと少々あせりの気持ちがあった。
それで、課長の頭越しに総括次長に現場に出してくれと依頼していたのである。
12月1日、大野工事区に赴任した。



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