登谷さんは、昭和22年に珠洲市で生まれ、建設会社などでの勤務を経て、40代の後半で、「揚浜式」の塩作りを始められた。
登谷さんが作る塩は、塩辛いだけでなく、うまみを感じさせるもので、「浜士」と呼ばれる職人の頭領として、後進の育成にも力を入れてきました。
塩作りは例年4月に始まることから、登谷さんは準備を進めていましたが、先月中旬に体調を崩して入院し、つい先日の夜、亡くなったという。
塩作りは例年4月に始まることから、登谷さんは準備を進めていましたが、先月中旬に体調を崩して入院し、つい先日の夜、亡くなったという。
当時、町会長をされていた中山良一さんに潮桶の担ぐ要領を実演指導された。
入院してあっと言う間に亡くなられたという。ご冥福を祈ります。
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